人気ブログランキング | 話題のタグを見る

新年のご挨拶

新年のご挨拶_f0294866_4334475.gif




謹んで新春のお慶びを申しあげます

ご無沙汰いたしておりますが皆さまには穏やかな新年をお迎えのことと存じます
昨年私は要介護5の認定を受けました。
難病を二つ抱えているとはいえ、人の手を借りなければ一日どころか数時間すら無事に過ごすことが出来ない自分、生きていることそのものが周囲に多大な迷惑や苦痛を与えることになってしまう自分という存在をどう受け止めたら良いのか。こんな状態になってまで、なぜ、何のために私は生きているのか。その問いにまっすぐに向き合おうとするのですが、間断無く襲って来る痛み、硬直、麻痺が私を疲弊させともすれば挫けそうになるのをリハビリに集中することで辛うじて支える
そんな一年間を過ごして参りました。
闇の中を手探りしながら進むような日々は当分続きそうですが、希望を捨てずに一歩一歩を大切に過ごしていきたいと思っています。
今年もよろしくお願いいたします


新年のご挨拶_f0294866_48996.gif


# by treeintheheart | 2017-01-03 07:09 | 日々

第二幕の始まり

第二幕の始まり_f0294866_239327.jpg

お久しぶりです。
大変長い間ご無沙汰してしまいました。


この数ヶ月(いいえ、実質的には一年以上と申せましょう)、事件やイベントがなかったわけではないのです。
むしろ、息子が成人し、娘が大学を卒業し、相続をめぐって調停があり、他にも様々な出来事がありました。
「誰かに仕組まれているのではないか」と思いたくなるような出会いや、霞の中に溶けていくような別れ、不思議な世界からの招待状の様に毎週起きた小さな奇跡…

「これは人生の大事な一コマだ。
かけがえのない瞬間だ。
書き留めておかなければ、きっと後悔する。」
と、その度に思うのですが、それについて語る言葉が見えてこない。まとまった文章に仕上げることが出来ないのです。

考えられる原因は二つありました。
一つ目は、私自身に大きな変化があって、自分の立ち位地をもう一度見直さなければならなくなったこと。
二つ目は、事実を書いていくこと、自分が真摯に考えたことを表現することが、時に危険を伴うものであると今更ながら認識したことです。

この二つについては、じっくり考えながら、ご説明していきたいと思います。


昨日は4月1日。
日本中の多くの学校や職場で新年度が始まる日でした。元旦とは別に、私達の日常を支えている色々な生産活動が更新され、昨日を起点として、また新たな目標に向けてスタートを切ったことでしょう。

ちっとも生産的ではない私ですが、「4月1日」に向けて社会全体がざわついてくると、さすがに居心地の悪さを感じはじめました。
巣穴の奥の小動物がニュウッと侵入してきた手に抵抗空しく捕まえられて引きずり出されるような、無力感を感じながら書きかけの下書きを何度もひっくり返して見ました。けれども、他人(ひと)の目に曝せるようなものは、ひとつとしてありませんでした。

この先、書きたいことはたくさんあります。材料はあるのですが、足りないのはそれを料理する技術と根気です。
「再開したい、けれども、できそうにない」
と、やる前からぐずっている根性無しの私ですが、色々な偶然が重なり、こんな言い訳だらけの一文から、また書き始めることになりました。
ハナから本当に中身のない文章で、この先不安ですが、うんとお暇な時、覗きにきてくださったらうれしいです。
またよろしくお願いいたします。
# by treeintheheart | 2015-04-02 23:09 | 日々
レオナルド・ダ・ヴィンチの通行許可証 (2013/10/26 01:12)_f0294866_23214449.jpg

レオナルド・ダ・ヴィンチの通行許可証 (2013/10/26 01:12)_f0294866_23214467.jpg

チェーザレ・ボルジア・デ・フランチャ、
ロマーニャ公爵、ヴァランス公爵、
アドリア・ピオンビーノの領主、
教会軍総司令官より、


私の領国内の、この書状を目にするすべての領主、軍司令官、傭兵、役人、兵士、家臣たちに告げる。

「私の最も親しい友人,建築技術総監督レオナルド・ダ・ヴィンチのために,あらゆる地域の自由通行と,彼に対する好意的な接待を命ずる。私から,公国内の全城塞の視察の任務を課せられた彼には,彼の任務を遂行するに必要な,あらゆる助力が十分に与えられねばならない。さらに,公国内のあらゆる城塞,要塞,施設,土木工事すべては,それを施行する間に,またそれを続行しながらも,技術者たちは,レオナルド・ダ・ヴィンチ総監督と協議し,彼の指示に従うことを命ずる。もしこの私の命に反するような行動に出たものは,いかに私が好意を持っているものであろうとも,私からの非常な立腹をこうむることを覚悟するように。」


法王猊下の18年目の年、
ロマーニャ公爵叙爵2年目の年
 ロマーニャ公爵が記す



(本文部分は「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」 第二部 剣 第八章からお借りしました。)


 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 


写真は、チェーザレ・ボルジアが、レオナルド・ダ・ヴィンチのために発行した、領国内を自由に通行する為の許可証である。

この通行許可証の発行日は1502年8月となっている。レオナルド・ダ・ヴィンチは50歳、許可証を発行したチェーザレ・ボルジアは27歳。
パトロンであったスフォルツァ家のイル・モーロが失脚し、失業中だったレオナルドがどういう経緯でチェーザレのもとで働くようになったのか、手元に何の資料もないので私にはわからない。

ただ、手紙は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった君主が、各地の現場監督、代官の類いに送ったものにしては、非常に緻密というか、あらゆる場合を想定して指示を与えていることに驚かずにいられなかった。

どちらかというと寡黙な、「指示は一言のみ」、のようなイメージを勝手に作り上げていたのだが、彼はいつもこんな風に細かく指示を出していたのだろうか。
それとも、これはかなり珍しいケースで、それだけレオナルドを信頼し期待していた、ということなのだろうか。

とにかくレオナルドが自由に動けるように、あらゆる便宜を図っているのである。チェーザレはレオナルドの才能をよほど高くかっていたのだろう。


一方のレオナルドはどうだったのだろうか。

今のところ、レオナルドのメモ類からチェーザレに関する記述は発見されていないらしい。
二人が面識があったという証拠は何もない。

けれども、この通行証が破棄されることなく現代まで伝わっていること自体が、私達の想像を掻き立てるに充分だろう。
通行証は、レオナルドの愛弟子であり遺言執行人であったフランチェスコ・メルツィの実家に保管されていた。
つまり、チェーザレの失脚後も、レオナルドはこの通行証を持ち歩いていた可能性が高いことになる。

「天才は天才を知る」という。
チェーザレの領国内にレオナルドが滞在したのは、わずか8ヶ月ほどだが、レオナルドにとっても、それは忘れ難い日々だったのではないたろうか。


【おまけ】

>>
レオナルドがチェーザレ・ボルジアのもとを去ったのは、チェーザレの失脚が最大の理由だと思いますが、詳しいことはわかりません。
当時レオナルドの故国フィレンツェはチェーザレと傭兵契約を結んでいました。だから、レオナルドも自分の意思ではなく、優秀なエンジニアをフィレンツェ政府が派遣した、ということだったかもしれません。だとすれば、チェーザレの勢いに翳りが見えたら故国に引き上げるのは自然な行動と言っていいかもしれません。

>>
私などよりずっと造詣が深く、高い見識をお持ちの方が、ご自身のブログで件の通行証を翻訳していらっしゃいました。
『私の親愛なるそして優秀な建築家であり軍事技術家であるレオナルド・(ダ)・ヴィンチにこの書状を持たせ、領国内の建築中の要塞・建築物の監督を依頼した。
現場にいるものは、すべて彼の命に従うことを命じる。
彼と彼の随行者の要請や判断に従ってその望むものを用意し、いかなる通行税もとってはならない。
友好的な態度と敬意を持って彼に接し、彼の望むあらゆる試み、測量を行わせること。
彼が要請するのであれば、人材・資金を惜しまず提供すること。彼にわが領内における建築の権限を委託したのであるから、ほかの建築技師たちは彼の意思に従い、彼の確認なしには任務を遂行してはならない。
もしこの命に反するようなことがあれば、その者は私の憤りをこうむることを覚悟すること。』
塩野訳より直訳に近いせいか、粘着質と言っていいくらいしつこいのがおわかりになると思います。
常々このように指示を出していたとしたら、レミーロ・デラ・ロルカという家臣が「独断専行の振る舞い」が多く、征服地に恐怖政治を行なった、として処刑されているのは、かなり疑わしいゾ、とか…
色々な想像してしまいました。
# by treeintheheart | 2014-09-19 23:21 | 歴史

ヤモリくん

ヤモリくん_f0294866_1858217.jpg

ヤモリくん_f0294866_1858214.jpg

ヤモリくん_f0294866_1858294.jpg

ヤモリくん_f0294866_1858275.jpg

我が家には庭がありません。建物の外壁にそって小さな花壇があるだけです。
それも、陽当たりこそ悪くないのですが、通風口が開いていて縁の下の冷たい風が吹き出していますし、花壇の正面には街灯が煌々とついているので、植物にとってはお世辞にも良い環境とは言えません。

それでも、毎年チューリップやムスカリ、水仙などの球根類は何とか花開いてくれますし、薔薇も切りもどしが間に合わないくらいすくすく伸びてくれます。
現在は苺の葉が楽しそうにジャンプを繰り返しながら花壇中から芽吹き、グランドカバー化しています。

その半坪にも満たない小さな世界に、どこからやって来たのか、ヤモリが住み着いているらしく、家族が深夜に帰って来たとき等は、よく玄関の窓に張り付いたヤモリくんのお出迎えをうけることがあります。
ヤモリは爬虫類で家を守る『家守』とも書きますが、これは害虫を食べてくれるからだそうです。
グレーがかったベージュのような色から、我が家のヤモリくんはたぶん絶滅危惧種の日本ヤモリと思われます。
「絶滅危惧種だなんて。そんな珍しいものが我が家の花壇に生息しているの?」
と、信じられないおもいでWikiってみたら、天敵はネコだそうです。…なんとなく納得。
# by treeintheheart | 2014-08-04 18:58 | 日々

七月の花々

七月の花々_f0294866_20205798.jpg

七月の花々_f0294866_20205720.jpg

七月の花々_f0294866_20205753.jpg

七月の花々_f0294866_20205781.jpg

七月の花々_f0294866_20205710.jpg

一年の折り返しにて、人ならば背骨なるか、または縦に降るなら臍の辺りか、遂に七月になりぬ。

臍と言へば、ヘクソカズラなる花は七月に咲くと聞こゆ。白き餅に紅をちらと悪戯に落としたる如き色合いにて、うつくし。名の由来は知らねど、不憫なり。

翻って「他に七月の花は何ぞ」と問わば、
唐鼠黐(とうねずみもち)、
令法(りょうぶ)、
半化粧(はんげしょう)、
南京黄櫨(なんきんはぜ)、
禊萩(みそはぎ)、
鳳仙花(ほうせんか、
に始まりて、月末には
槐(えんじゅ)、
紅葉葵(もみじあおい)、
例の屁屎蔓(へくそかずら)、
向日葵(ひまわり)、
浜木綿(はまゆう)、
待宵草(まつよいぐさ)、
薮蘭(やぶらん)、
等は花期長くして、夏を越えて咲き続ける強者どもなり。

八月に入りてとばかり憶えし秋桜(コスモスなれど、七月の花に加えられたるを、何とはなしに落ち着かぬ心地にて見ゆ。

里山にすら色とりどりに咲くものを、ましてや人の庭の花々の咲き競うさま、大小の熱き渦を纏いたるが如し。
誇らかなる蓮、クレマチス、金魚草、トルコキキョウ、インパチェンス、百日紅、松葉ボタン、ランタナ…と限が無し。


☆昔の日記風に書いてみました。文法上の誤りなど多々あるかと存じますが、お許しくださいませ。
# by treeintheheart | 2014-07-01 20:20 | 日々

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart