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娘の休暇

娘の会社では年2回仕事が暇な時期に特別休暇を取れる制度がある。
最初の1年目から、祖父母の入院や、老人施設への引越しや、私自身の体調不良で、旅行どころか家事に明け暮れて、翌年は自分の膝の手術にあて、また翌年は亡くなった祖父母に関する手続きの手伝い…と毎年、「普通に会社に出ていたほうがマシ」とつぶやく状態だった。
ましてや今年は、散々である。
申し訳ないと思う気持ちを、メールに打ってみたが、読み返すとあまりに軽薄で得手勝手で、送れる代物ではなかった。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


「娘に」

やりたかったことを何一つ満足に出来ないまま、今年も休暇が終わってしまったんだろうな。(「だろうなって、見て解るじゃん」と突っ込まないように)
申し訳ない。

だけど、私にとっては4日間あなたがいてくれて、とても心強く、煮詰まった膠の如くなっていた思考が、もう一度ゆっくり回り始めた感じだ。
ありがとう

なんて書くと
ますます家を出られ無くなるのだろうか

迷惑ばかりかけて
「子供達の翼をもいでいる」
とある人に相談したら、
「それは高慢というものだ」
と叱られた。
「子供ってぇのは強いものです。
本当にやりたいことを見つけたら、親のことなんざ振り返っちゃくれません。
さっさと飛んで行きますよ」

そうなのだろうか。

ひらっと寂しさが胸の中で舞った。
が、ほっとした。
嬉しかった。


これだけハードルが高いのだ。
よもや間違うことはあるまい。

どうか、どうかやりたいことを見つけて、それへ向けて飛び立ってほしい。
自分の思うままに、自由に、
悔いを残さないように。


今の私には
面と向かって
そう語る勇気はないけれど、
「心配しなくて大丈夫」
と一日も早く言えますように

そして
私の役目は
翼を休めに帰って来る場所を確保すること…なのだろう
by treeintheheart | 2014-06-18 08:42 | 日々

雲の上の友

高校の同窓会の案内状が来た。

はっとした。
13年前、当時の幹事だったKが「次期幹事を」と依頼の電話をかけてきたときのことが思い出された。恐怖にも似た、苦い冷たい塊が私の中からせめぎ合いながら昇り上がって来るようだった。

彼女の依頼を、私は即座に断った。深刻な体調不良を感じていたからでもあるが、私のような不器用で不出来な人間に連絡しなくても、優秀なのからユニークなのまで人材には事欠かないはずだった。
それで二人で思いつくかぎりの同級生をあげていきながら無責任&無節操な基準で「彼女なら適任だね」などと1時間あまりもおしゃべりしたのだった。
「ごめんね、お役にたてなくて」
「ううん、こんなにおしゃべり出来てよかったよ~。何か理由作らないと、なかなか話せないじゃん。やっぱり電話してよかった」

どこにでもある普通のやりとりで電話は終わった。

案の定その3ヶ月後に私は入院してしまった。一年後、退院してからも毎日のバタバタ騒ぎの中、私は激流に呑まれそうな気分で過ごしていた。
そんなある日、友人の一人から電話があった。
「Kが死んだよ。ショック過ぎるからJには知らせなかった。お通夜も告別式も終わった。皆きていて盛大だった」

私は呆然とするしかなかった。
私の中でKはこれから永遠に高校生でいなければならないような気がした。
次々と彼女の「台詞」が甦る。当時、彼女は発足したばかりの「ミュージカルなかよしともの会」のリーダーだった。文化祭で彼女が演じた「ハロー・ドゥーリー」は正に適役で、無知な私はオリジナルかと思ったほどだった。ピンク色の派手な衣裳をつけた彼女は言った。「ねえ見て見て、私が着るとてるてる坊主みたい」
彼女の声はすこしハスキーだった。お弁当はいつもおばあちゃんが作っていた。ランチタイムに後ろから時々悲鳴が聞こえた。「やだ、おばあちゃんたら、また胡瓜の油いためいれてるう~」「うああ…ねぇねぇ、普通お弁当に納豆っていれる?」

それだけの彼女ではないはずだった。卒業後数年して、彼女が某劇団の研究員になったこと、さらに最晩年の遠藤周作氏に可愛がられたこと等を風の便りできいていた。
実はあの電話の直後に招待状が来たトークショー(?)には行ってみた。小さな一人ミュージカルはよくまとまっていたし懐かしかったが、プロとしては声が良く出ていないような気がした。その後のトークタイムは、私には別世界だったので、ひたすらケーキを食べていた。…一言声をかけようかと思ったが人混みを掻き分けていくのは億劫だった。「まっいいや、次はTも誘おう」
けれども次は無いまま、私はTから彼女の死を知らされたのだった。「あの声は」と得心した。無理を押してのステージだったのかもしれない。


それから10年以上も、私は彼女の死因も何をしていたのかも知らないままだった。大学時代にはミュージカルをやるというので観に行ったけれど、ジャンジャンでのコンサートは、子供を主人の母に預けるなんて無理だったから、聴きにいくことはできないままになった。
高校時代、伝統ある演劇部に反旗を翻す形で発足した同好会は、文化祭での発表に漕ぎ着けるまでがまさに青春ドラマのようだったが、きっとあの勢いのまま人生を押し渡っていったのだろう。

昨年、私の父母が亡くなり、同時に一つの時代が私の中で終わった。様々な封印がとけて、私は懐かしい名前を検索した。
彼女のブログのプロフィールらしい痕跡が残っていた。彼女の声、特徴的な話し方が聞こえて来るようだった。経歴や上演作品を読みながら涙が馬鹿みたいに頬を流れた。
別のブログでは彼女の葬儀の前後のことが語られていた。「壮絶な闘病生活」と書いてあって、不謹慎かもしれないけれど、私はほっとした。妙なことに「自殺でなければいいが」とずっと思ってきたからだ。
彼女を知る人は百人が百人とも彼女を向日葵に例えるだろう。私もそう思う。でも、もうひとつ、彼女には妙に軽やかなところがあって、「ここから跳んだら本当に翔べそうな気がしたのよ~。」と例のドーリーの衣裳を着てパラソルをさし、何でもない瞬間に何かを越えて向こう側へ行ってしまいそうなヤツだったからだ。
…なんて書くと雲の上から抗議が来そうだ。幸い今日の雲は分厚くて、彼女を載せても持ちこたえられそうだし。
「何言ってるのよ?アンタこそ好き勝手書き散らしてるけど相当体重増えたでしょう?だいたいねぇ、アンタは昔から…」
by treeintheheart | 2014-06-12 11:37 | 思い出

同窓会

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時間がないんだ
お願いだから
大人の対応は止めてくれ
穏やかな日常の中の新発見や
心を和ませる小さな物語を
気遣いながら語ってくれる
君の中では今でも
私は十七歳のままなんだね


でも、私が知りたいのは
君が隠し通そうとしている
あの子の最後の物語だ
陽気な人気者だった
自分をてるてる坊主だなんて
言っていたっけ
未だに意味は不明だけど


招待状が届くたびに
どれほどわくわくしただろう
最後の電話をかけてきた
気づかないまま受話器をおいた
君のことを話していたよ
憶えているのはただそれだけ


あの子のことを聞きたいんだ
君とだから話したいんだ


ああ、やっぱり私は
十七歳のままだね
こんな風にいつも
困らせていた
君のことも

彼女のことも
by treeintheheart | 2014-06-03 12:29 | 詩、物語、短歌…

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart