To the Wonderを観ました(DVD)

多くの人が、この映画を恋愛を描いたものとして観るだろう。
確かに、ニールとマリーナの愛を中心に物語は進行していく。様々な愛の記憶の断片が、時系列を越えて入れ替わり立ち替わり表れる。「愛さえあれば何もいらない」と思っていた頃、この愛が永遠につづくと信じていた頃でさえ、その後に起きるいさかいや裏切りは既に内包されていることを仄めかすようなナレーションとともに。

しかし、物語は男女の愛の行方を追いながら、次第にもうひとつの愛を問う声が大きくなって行く。
特に、神父の目線でカメラが教区民の苦悩や孤独を切り取って行くシーンでは、愛の不在がどれほどの打撃を人に与えるものかを見せつけてくる。その問いかけは男女の愛を含むもっと漠然としたものから始まる。
「私にはあなたが見えない」
宗教、特にキリスト教にあまり縁のない日本人には解りにくいところかもしれないが、恋愛を通して彼らが求めているのは神の愛なのである。

行きずりの男性と関係を持ったマリーナがニールの足に接吻をするシーンがある。正にマグダラのマリアを思い起こさせるシーンだ。
ある人がマリーナにとってニールが救いであることを表現しているとコメントしていたが、私にはそうは思えなかった。
何故なら、それに先立つシーンでニールはマリーナの裏切りに対し激しい怒りを露にしている。しかしその実、ニールもかつてマリーナを裏切っているのである。何も知らないマリーナの接吻に為すすべもなく茫然としているニールの脳裏に浮かんだのは、むしろ姦淫の罪を犯した女を引き出した人々に対し「汝等の中で罪なきものがまず石もて打て」とイエスが言ったというルカによる福音書7章36-50節のエピソードではなかったか。
ニールもマリーナもその愛は不完全で移ろいやすく信じてその身を託すにはあまりにも頼りない。けれども、その愛は手を伸ばせば触れることが出来る。ともに歩み、いたわり合いながら育てていける愛である。
それに対し永遠に変わらぬ神の愛は、世界に満ちあふれているはずであるのに、我々は触れるどころか視ることすら出来ずにいる。
我々は、不完全な自分達の愛を通してしか神の愛を垣間見ることが出来ないのかもしれない。


全編を通して、神の御手により創造された美しい自然と、人の手により創造された芸術的作品とが絡み合うように映し出される。
そこではまるで自然の方が移ろいやすく、人の作ったものの方が堅固であるかのようだ。
その移り変わる風景の中をマリーナは妖精のように軽やかにステップを踏んでいく。けれども、決して遠くへ離れていくわけではなく、くるりと振り向いてニールを待っている。(このシーンはニールが「信じて」と言いながら目を閉じたまま後方へ倒れかかるマリーナを受け止めるシーンと呼応しているようにかんじた。)

映像は幻想的だが、その語ろうとするものは決して夢物語ではない。平和な町に潜む汚染や貧困や既成の宗教が持つ限界や…様々な現実を確り織り込んで、さらに通奏低音のように神を求める声が重なる。
神は答えないのか。
ラストシーンで我々は、潮が引きモンサンミッシェルへ渡る砂地の道が露になっているのを見る。
まるでThe Wonder に至る道のように。


監督・脚本
テレンス・マリック
出演
ベン・アフレック
オルガ・キュリレンコ
ハビエル・バルデム
レイチェル・マクアダムス
音楽
ハナン・タウンゼンド
撮影
エマニュエル・ルベツキ
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by treeintheheart | 2014-03-19 20:29 | 映画、DVD、音楽

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart