2014年 01月 15日
5時28分のオルゴール(2013/03/02 02:34)
3月1日、私は《セナのピアノ~Close to you》 で目が覚めました。携帯の着信音です。
けれども、枕元の携帯を取り上げた時には、もうメロディは途切れていました。
5時28分…こんな時刻に?
受信履歴を確認しましたが、何も記録が残っていません。
私は、思い出しました。
丁度一週間前の早朝、母は亡くなったのですが、5時17分に介護スタッフの方と話した記録が残っていて、発見されたのが50分頃ですから、5時28分というのは母が亡くなった時刻なのかもしれません。
母と最後に会話したのは、夕食の支度を終えて家族の帰りを待っているときでした。息子が帰って来たので
「また後で電話するね」
と、慌てて電話を切ったのでした。
結局「後で電話する」ことはできず、電話で約束した「水曜か木曜に行く」こともできませんでした。
待ちぼうけが母の背中を押してしまったのでしょうか。
あの朝、救急隊員からの二度目の電話は、
「心臓マッサージ等の蘇生の為の処置をもう辞めていいか、家族の許可が欲しい」
という内容でした。妹や家族と話す時間も与えられないまま私は承諾しました。受話器の向こうで、お医者様やスタッフの会話や器材の音が一頻り聞こえ、やがて静まりました。お医者様の声でしょうか、「6時38分に死亡を確認」した旨を告げる声がしました。
母と対面したのは、それから8時間後でした。
その後、死体検案書から母が亡くなったのは5時半頃だったことが判りました。それでも、私には6時38分という時刻とそれを告げた声、そして
「覚悟はしておりました、ありがとうございました」
と言った自分の声が忘れられないのです。
けれども、枕元の携帯を取り上げた時には、もうメロディは途切れていました。
5時28分…こんな時刻に?
受信履歴を確認しましたが、何も記録が残っていません。
私は、思い出しました。
丁度一週間前の早朝、母は亡くなったのですが、5時17分に介護スタッフの方と話した記録が残っていて、発見されたのが50分頃ですから、5時28分というのは母が亡くなった時刻なのかもしれません。
母と最後に会話したのは、夕食の支度を終えて家族の帰りを待っているときでした。息子が帰って来たので
「また後で電話するね」
と、慌てて電話を切ったのでした。
結局「後で電話する」ことはできず、電話で約束した「水曜か木曜に行く」こともできませんでした。
待ちぼうけが母の背中を押してしまったのでしょうか。
あの朝、救急隊員からの二度目の電話は、
「心臓マッサージ等の蘇生の為の処置をもう辞めていいか、家族の許可が欲しい」
という内容でした。妹や家族と話す時間も与えられないまま私は承諾しました。受話器の向こうで、お医者様やスタッフの会話や器材の音が一頻り聞こえ、やがて静まりました。お医者様の声でしょうか、「6時38分に死亡を確認」した旨を告げる声がしました。
母と対面したのは、それから8時間後でした。
その後、死体検案書から母が亡くなったのは5時半頃だったことが判りました。それでも、私には6時38分という時刻とそれを告げた声、そして
「覚悟はしておりました、ありがとうございました」
と言った自分の声が忘れられないのです。
by treeintheheart
| 2014-01-15 09:58
| 父母の記録