「八郎」斎藤隆介(子供達に読み聞かせした本)

「花咲き山」「モチモチの木」「ちからたろう」等でおなじみの作者が秋田のあたたかく迫力ある言葉で語る、でっかい男の物語である。

八郎は樫の木のようにすいすい伸びて、筋肉はカンカン固くて、見てるものはホーイと笑って気持ちよくなってしまうような山男だ。それでも、もっともっと大きくなりたくて山から海へ向かって駆け降りてきては、海へ向かって
ウォーイ ウォーイ
と叫ぶ。その頭には色々な鳥が巣をかけて
ピチピチ、チイチイ、チュクチュク、カッコー
と囀っている。八郎も小鳥達を驚かさないように気遣かっていたりするのが微笑ましい。

そうやって呑気に暮らしている八郎だったが、ある日、男の子が浜辺で泣いているのに出会う。見るとが真っ暗になり白い歯を向いてやって来るのだ。

海岸に固まって震える村人達。泣き叫ぶ山。いつかみた木版画のような風景の中に八郎がやってくる。まるで、生きて、自由に動けるのは彼だけのように。

押し寄せる海に、岩を投じ、山を投じ、ついには自らの身を投じる八郎の叫びは、しかし天を貫くほど明るい。

「分かったァ!おらがなして今までおっきくおっきくなりたかったか!おらはこうしておっきくおっきくなって、こうしてみんなのためになりたかったなだ、んでねがわらしコ!」

八郎の頭を波が越え、髪の中の小鳥達が飛び立つ。それを見て、わらしコが手を叩いて喜ぶ。それに応えるかのように、八郎の沈んだ後の波上の泡がはじける。

語り部は、わらしコが八郎の後を継ぐ男になっていることを語って物語を終える。

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斎藤隆介に出てくるオトコ達は、「ちから太郎」に代表されるように、荒削りでパワフルで、大きな足で目標に向かってドスドス歩くと周り中のものが跡形もなく薙ぎ倒されてしまうようなイメージがある。
実際にそんなオトコがいたら堪ったものではないけれど、ただの傍迷惑野郎ではなく、彼らの多くはなぜか微かな悲劇の影を(というより「死にキャラ臭」を)漂わせている。
それは多分、彼らがあまりにもピュアだからだ。

彼らの欲望と言ったらほぼ食欲と「大きくなりたい」「強くなりたい」に限定されている。食欲は、生きるための必要最低限の欲求であるが、大きさ、強さをこれほどまでに求めるのはなぜだろう。
力太郎の場合は敢えて単純化しているから、主人公はただ楽しく大きく、強くなって行く。
けれども、八郎の場合は、主人公が自らの課題として意識し続ける。
八郎が、殆ど嬉々として津波に立ち向かって行くのは、自らの問いに対する答えを見いだしたからなのかもしれない。その喜びの前には死さえ軽やかな光を帯びるようだ。


私達は生きていく上で様々な欲求を持ち、それを叶えながら、あるいは諦めたり折り合いをつけたりしながら日々を過ごしている。

「お洒落をしたい」
「金持ちになりたい」
「地位や名誉を手に入れたい」
などという欲望が、八郎にそぐわないことは誰が見ても明らかだ。
しかし、八郎には
「友達がほしい」
「誰かに理解されたい」
「愛されたい」
という欲求すらないように思える。
こういった欲求は、多分誰もが持っていて、ある意味では「人間らしさ」の表明のようなものなのに、どことなく彼とは相容れない感じがする。
なぜだろう。
彼が「人間」ではないからだろうか。
彼の巨大さが、彼に疎外感をもたらしていたか否かはわからない。けれど、一人でいる彼の姿は「孤独」というより「自由」という言葉がふさわしい。(別に二者択一なわけではないけれど)
彼を見ていると「仲間が大切」「愛する人の為に〜」というテーマで動くヒーローたちが、何だか小さく感じられる。
なぜならば、それらは「友情」とか「愛」の字を纏ってはいるけれど、その根底には「自分を潤す」という動機があって、とことん無私な彼とは遠い存在になってしまわざるをえないのだ。
そんな気がした。

それと同時に、彼はもっと大きなモノに包まれていて、それを感じ取っているから、私たちが齷齪求める「愛」「友情」には目もくれないのだろう。それなのに、というより,だからこそ里に危機が迫ると、誰かをともなうこともなく、相談も、力を合わせることもなく、ただ一人で、いともあっさり生命を投げ出してしまうのだろう。
彼は村人達に
「勇気を出して一緒に立ち向かえ」
「自分達の村は自分達で守れ」
という要求はしなかった。
村人達が小さく、心配性で、来る日も来る日も大地の声を聴き、太陽や雨風から作物を守っていることを八郎は知っている。それが村人達の戦いであって、八郎には出来ないことだ。
村人達には、八郎が海に沈んだあと、潮をかぶった土地を一面の黄金色の稲穂の波に変えるための長い長い戦いがあり、それが八郎の戦いと等しく尊いものであることを、八郎は理解している。

生きることは自分というピースがピタリと収まる場所を見つけること。八郎にとってはそれだけのこと、なのかもしれない。
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by treeintheheart | 2013-07-18 18:20 | 子供たちの記録

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart