2012年8月にレスターで一体の遺骨が発見された。
当初、女性かもしれないと思われたほど華奢な遺骨は、後ろ手に縛られ、身の丈にあわない小さな歪な形の穴に頭を北に埋められていた。頭の下に敷物もなく、真っ直ぐに姿勢を整えてもらうことすらできなかったらしい。
翌年の2月4日に「レスターで発見された遺体がリチャードⅢ世のものであると確認された」とレスター大学の考古学チームが発表した。
「遺体を安置した後、その態勢を変えることもなく慌ただしく墓が閉じられたのは、遺体が晒され、ひどい状態にあったとする記録によって説明がつくだろう」と研究者は指摘する。
頭蓋骨に、戦いによるものとみられる10か所の傷があり、顔への2か所の傷、肋骨と臀部にも1か所ずつある傷は王が鎧をはぎ取られた後のものであり、それは王への無礼を意図しているとも推測されている。
これらのニュースによって、日本ですらこの不幸な王の名前は一般名詞化した。「昔から」彼を知るファン、マニア、研究者、ヲタ…まぁ、どんな名前でも良いけれど、この現象に複雑な思いでいるのだろう。もちろん、私も含めて。
でも、プランタジネット朝最期の王であった彼が、死後数百年にわたり不遇だったのはやむを得ないことだ。遺体がほぼ完璧な形で残っていたことのほうが、むしろ奇跡と言っていい。まるで、彼が生前、語りたくても語れなかったことを伝えるために顕れたとしか思えないくらいだ。
傴でびっこ、という伝説的な彼の風貌が事実だったことも今回明らかになった。
しかも、思春期特発性脊椎側弯症(AHS)という病気によるもので、10歳以降に突然発病しているらしいことも。
当時、正常に生まれた人の身体が激しい痛みとともに急に捩曲がっていったら、人々は何かの天罰か、少なくとも神からのメッセージだと思っただろう。彼はどれほど苦悩したことか。
それでも彼は、英国史上一二を争う美貌の王となった兄と共に薔薇戦争を戦い抜いてきた。
『忠誠が我を縛る』
というモットーそのままに、彼は危急にあっても、決して兄を裏切らず、常に最前線で戦った。その道程はどれほど困難に満ちていたか。
史実の彼が、本当はどんな人物だったのか、長い長い議論に終止符が打たれることはないだろう。
肖像画の彼は、どれも重そうな衣装をきて、沈痛な顔をして細い指を組んだり指輪を弄ったりしている。遠くを見つめているのか、何かを失ってしまって目の前のことはどうでもいいようななげやりな表情にも見える。
この肖像を描いた画家は何処までリチャードを知っていたのだろう。
リチャードの死後、15世紀末に描かれたもので「失われたオリジナル」があると言われているが、たとえリチャードの生前に肖像を依頼された画家がいたとしても、その生まれ育った環境から推測すれば、リチャードは内面を容易に見せる男ではなかっただろう。しかし、画家は明らかに彼の内面にある何か非常に苦いものを感じ取って、私たちに伝えようとしているのだ。
シェイクスピアの描くリチャードは、自由闊達でパワフルだ。彼は、自分が他人より優れていると思うもの全てを駆使して運命に挑んで行く。その姿は、時代を越え国境を越えて人々を魅了する。彼は、少なくとも表面的には自分を肯定しようとしている。
けれども、その生きざまは、現存するどの肖像画とも相容れないような気がする。肖像画の中に私たちが見出だすのは、寧ろ劇中でリチャードが演じてみせる謹厳実直で信仰深い貴族の姿そのままだ。シェイクスピアの創作と言ってしまえばそれまでだが、あの人物像のルーツは一体どこにあるのだろう。
彼の死後、華奢な身体につけられた傷に思いを馳せる時、彼が控えめな善良な人物だったと判明した場合よりも、シェイクスピアの描くような人物だった場合のほうが、寧ろ彼の背負っていたものは重かったような気がする。