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すべてみどりになるまで

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魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず

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詩を書くということは
ワタガシのように
細い細い思いを
そっとつまみ上げ
手の中で融ける前に
丹念にほぐしてから糸に撚り
言葉へと紡いでいくことだ



織り上がったものを目にして
私たちは驚く

この人も抱えていたのか
同じ思いを
同じ記憶を
同じ祈りを

私たちは
ただの通りすがりではなく
迎えられて此処に来たのだ


探し求めていたものが
くっきりとそこに立てられている
他の誰か
同じように探し求めた
誰かの手によって
独りではない証として

そんな経験をすることだ
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by treeintheheart | 2014-05-22 01:44 | 詩、物語、短歌…
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先日は娘の誕生日でした。

でも、彼女は一昨年からあるトラブルに巻き込まれていて、それを抑え込むように何事もなかったように日常生活を送っているのでした。
一本の細い細い糸で自らを何かに縛りつけて辛うじてバランスをとっているかのようで、お誕生日のメッセージになんと書いたらよいのか、とても迷いました。

所謂「生まれ来てくれてありがとう」的なものはかえって思い出したくないものを思い出させ追い詰めてしまいそうです。
娘の名は新約聖書から採ったのですが、今それを語る時機ではないように感じました。

そんなとき林芙美子の「花の命は…」の全文を見つけたのです。
林芙美子は大変な苦労人で頑張り屋だった一方、なかなか癖のある人だったようです。少なくとも今の娘とは正反対です。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」
という言葉も、それ自体は共感するのですが、一人で呟いているのではなく、色紙に書くというのは、私の知らない感覚でした。

でも、全文を見た時に、私は「やられた」と思いました。それは、少し大げさに言えば、ごつごつした岩間をくぐり抜けたら大海原が見えたような感覚でした。

結局、全文をそのまま娘に送信しました。



 花の命は短くて
 苦しきことのみ
 多かりき
 風も吹くなり
 雲も光るなり
 生きてゐる幸福(しあわせ)は
 波間ののごとく
 漂渺とたゞよひ
 生きてゐる幸福は
 あなたも知ってゐる
 私もよく知ってゐる
 花のいのちはみじかくて
 苦しきことのみ多かれど
 風も吹くなり
 雲も光るなり

    林芙美子
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by treeintheheart | 2014-05-17 18:28 | 日々
脱ぎ捨てし
吾子の衣を
たたみつつ
離れて後も
安かれと願う

(2013年10月31日)




青き風
吹き抜けてなお
消え去らぬ
父母逝きし
朝の病葉
(2014/04/15 00:54)




御手を求め
見上げし空は
高く高く
眩むばかりに
光満ちてあり
(2014/04/23 06:05)
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by treeintheheart | 2014-05-05 14:28 | 詩、物語、短歌…
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2012年8月にレスターで一体の遺骨が発見された。
当初、女性かもしれないと思われたほど華奢な遺骨は、後ろ手に縛られ、身の丈にあわない小さな歪な形の穴に頭を北に埋められていた。頭の下に敷物もなく、真っ直ぐに姿勢を整えてもらうことすらできなかったらしい。

翌年の2月4日に「レスターで発見された遺体がリチャードⅢ世のものであると確認された」とレスター大学の考古学チームが発表した。
「遺体を安置した後、その態勢を変えることもなく慌ただしく墓が閉じられたのは、遺体が晒され、ひどい状態にあったとする記録によって説明がつくだろう」と研究者は指摘する。
頭蓋骨に、戦いによるものとみられる10か所の傷があり、顔への2か所の傷、肋骨と臀部にも1か所ずつある傷は王が鎧をはぎ取られた後のものであり、それは王への無礼を意図しているとも推測されている。


これらのニュースによって、日本ですらこの不幸な王の名前は一般名詞化した。「昔から」彼を知るファン、マニア、研究者、ヲタ…まぁ、どんな名前でも良いけれど、この現象に複雑な思いでいるのだろう。もちろん、私も含めて。

でも、プランタジネット朝最期の王であった彼が、死後数百年にわたり不遇だったのはやむを得ないことだ。遺体がほぼ完璧な形で残っていたことのほうが、むしろ奇跡と言っていい。まるで、彼が生前、語りたくても語れなかったことを伝えるために顕れたとしか思えないくらいだ。

傴でびっこ、という伝説的な彼の風貌が事実だったことも今回明らかになった。
しかも、思春期特発性脊椎側弯症(AHS)という病気によるもので、10歳以降に突然発病しているらしいことも。
当時、正常に生まれた人の身体が激しい痛みとともに急に捩曲がっていったら、人々は何かの天罰か、少なくとも神からのメッセージだと思っただろう。彼はどれほど苦悩したことか。
それでも彼は、英国史上一二を争う美貌の王となった兄と共に薔薇戦争を戦い抜いてきた。
『忠誠が我を縛る』
というモットーそのままに、彼は危急にあっても、決して兄を裏切らず、常に最前線で戦った。その道程はどれほど困難に満ちていたか。


史実の彼が、本当はどんな人物だったのか、長い長い議論に終止符が打たれることはないだろう。

肖像画の彼は、どれも重そうな衣装をきて、沈痛な顔をして細い指を組んだり指輪を弄ったりしている。遠くを見つめているのか、何かを失ってしまって目の前のことはどうでもいいようななげやりな表情にも見える。

この肖像を描いた画家は何処までリチャードを知っていたのだろう。
リチャードの死後、15世紀末に描かれたもので「失われたオリジナル」があると言われているが、たとえリチャードの生前に肖像を依頼された画家がいたとしても、その生まれ育った環境から推測すれば、リチャードは内面を容易に見せる男ではなかっただろう。しかし、画家は明らかに彼の内面にある何か非常に苦いものを感じ取って、私たちに伝えようとしているのだ。

シェイクスピアの描くリチャードは、自由闊達でパワフルだ。彼は、自分が他人より優れていると思うもの全てを駆使して運命に挑んで行く。その姿は、時代を越え国境を越えて人々を魅了する。彼は、少なくとも表面的には自分を肯定しようとしている。
けれども、その生きざまは、現存するどの肖像画とも相容れないような気がする。肖像画の中に私たちが見出だすのは、寧ろ劇中でリチャードが演じてみせる謹厳実直で信仰深い貴族の姿そのままだ。シェイクスピアの創作と言ってしまえばそれまでだが、あの人物像のルーツは一体どこにあるのだろう。


彼の死後、華奢な身体につけられた傷に思いを馳せる時、彼が控えめな善良な人物だったと判明した場合よりも、シェイクスピアの描くような人物だった場合のほうが、寧ろ彼の背負っていたものは重かったような気がする。
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by treeintheheart | 2014-05-04 08:33 | 歴史
いつも楽しく読ませていただいているブログ主のかたが、今日の暑さに「熱中症に気をつけて」と呼びかけてらっしゃったが、確かに体力のない病人やお年寄りは、25℃でも熱中症になると言われている。


そして体力のないことでは人後におちない(?)私はと言えば…

多分なってました、熱中症(;∇;)ついさっきまで…

怠いし暑いし動悸と悪寒もするし、第一朝からロクに水分とってない…ヤバイと思って主人に
「どうやら熱中症みたいだから」
と保冷剤と飲み物と濡れタオルを頼んだら、
「タオルはどれがいいの」
(どれって…目の前の引き出しの…どれでもいいんだけど)
「保冷剤が見当たらない」
(よく探してよぉ…冷蔵室じゃなくて冷凍室って…聞いてない)
「飲み物はアセロラと飲むヨーグルトと今朝の紅茶がポットに残ってるのとどっちがいい?」
(どれもイヤじゃ…たしかポカリがあったはず)etc.質問攻め。
声も出ずぐったりしているのに
「声が小さくて聞こえない」
「ちゃんと座らなきゃのめないだろ」
この頃からふてくされ始め
「どうせ俺のやることは気に入らないんだ」
「お前って本当に我が儘だな」

脳の血管切れそうになった私は、やっぱり我が儘なんでしょうか?
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by treeintheheart | 2014-05-03 19:18 | 日々
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春が好きだった。

困難の中に窒息しそうになっていても
春がくると何かしら新しい展開があって
わずかでも希望を抱くことができた。
いつも新しい小さな決意を
心に誓ったものだった。

それが
どうしたことだろう。
今年は
春を待ちわびることなく
花の便りを聞いても
心揺れることなく
家族が撮って見せてくれる
我が家の花壇の写真で
わずかにその歩みを知るだけだった。

心がヘチマみたいに繊維化して
硬く縮こまっているような、
そんな気がした


行き去ろうとする春に
今、手を差しのべて
再会を約さなければ
二度と訪れてくれないのではないかと
淡い恐れを抱きながら

ただ無為の日々を過ごしている
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by treeintheheart | 2014-05-01 00:40 | 日々