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父の時代

1月5日は父の命日だった。
迷ったあげく年も押しつまってから御寺に連絡し、お参りさせていただくことにした。きちんとしておかないと口うるさい父が、まだ私の後ろで一言言いそうで…と考えてしまうのが癪だったが。


父は若い頃、神社仏閣を崇めるタイプではなかった。同時代の生意気な青年と同じように無宗教=進歩的という戦後の風潮に乗っかった部分もあるが、生まれてから終戦、そして母と結婚するまでの人生が、言わば運命に翻弄され続けたものだったから、自分の目に見えない、手の届かないところに幸不幸の原因を想定し帳尻を合わせることを反って潔しとしなかったのだろう。
「自分の人生は全て自分だけが決める」
とはあまりにも無茶な想定だが、そう思うことで彼は何とか再び走り出すことが出来たのかもしれない。

多分、幸いなことに時代がそれを後押しした。高度成長期とは勤勉や努力が報いられた時代だったのだと思う。人はわずかながらでも毎年収入が増えることを予測できたし、新しい家電品や車や家を購入することで自分の「価値」を具象化することができた。たとえささやかなものであろうと、「将来への希望が持てた」時代だったのであろう。
政治や外交等の水面下では異なるかもしれないが、少なくとも一般庶民にとっては、わかりやすい良い時代だったのだと思う。

父は、少なくとも私の知る限りでは本当によく働く人であった。
私は眠りの浅い子供だったが、いつ目が覚めても仕事部屋には煌々と明かりがつき仕事をしている父の姿があった。
その分、というべきか、芸術方面にはまるで疎くて、私が音楽を聴いているとうるさがったし、高校時代BBCのシェイクスピアシアターを観ていたら「テレビ見てないで早く寝ろ」と叱るし、旅行へ行けば過密スケジュールで史跡を巡って本人のみ満足気にしているし…今は笑い話だけれど、当時は本当に腹立たしく思うこともあった。

それでも、父と私は「歴史好き」という共通点があったから、話す機会もそれなりにあった。子供の頃に教えてもらった戦国武将のエピソード等は、その後それが史実ではないと判ってからも大切な思い出だ。
父は、上杉謙信と関羽と坂本龍馬が好きだった。はっきり言ってミーハーの域を出ない。海音寺潮五郎と池波正太郎と山本周五郎が好きだった。この辺りも極めて普通のオッサンである。
ごり押しの立身出世が出来ず微かに負け組の影がちらつく、古い秩序や権威に憧憬を持ちながらもそれが形作る世界とは相容れない…父の本棚にはそんな物語が多かったように感じるのは、私の勝手な思い込みだろうか。
「日本人は電車に乗るが早いか皆文庫本を開いて読み始める」
と外国人が驚いた時代に働き続けた父の本棚は、文庫本ばかりがぎっしり詰まっていて、最後の日々、父はその殆どを棄ててしまった。
本棚に残っていたのは、もう十年以上前に辞めた仕事関係の事典類と地図類、吉川英治の「三國志」、自分の一族の出身地と言われる町の歴史資料集といったものだったのは少し意外だった。
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by treeintheheart | 2014-01-30 21:06 | 父母の記録

父の誕生日に

23日は父の誕生日だった。
父はもう歳をとらないけれど
ケーキでお祝い出来ないけれど
せめて好きだったチョコレートを
写真の前に置いてあげよう


遠い昔、洋梨のタルトを作って持って行ったっけ。
バターと砂糖を擦り合わせる根気のいる作業を、まだ幼かった娘が引き受けてくれた。

そんなことを思い出していると、娘が
「今日はケーキを買って来るつもりだった」
と言った。
「おじいちゃんならチョコレートだろ」
「ホント、好きだったよね」
と他の子たちが加わる。
「看護師さんたちがびっくりしてたよね」
「ナースステーションが爆笑の渦」
「『え~っ〇〇〇さん、チョコレートがお好きなんですかあ?』『なんか意外~!』」
ひとしきり盛り上がってしまった。

頑固で、話が長くて冗談が通じなくて…そのうえ耳が遠かったから、子供達はおじいちゃんとじっくり話したことなどなかっただろう。
それでも彼らは憶えていた。ちょっとした仕草、長崎(?)訛り。
最後の数ヶ月、父の印象は決して良いとは言えなかったけれど、子供達は笑って父のことを話してくれた。
ありがとう。

人は、こうして生き続けるのだ。
人生は「死」で全てが終わるわけではない。
そこから始まるものもあるのかもしれない、と改めて思った。
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by treeintheheart | 2014-01-27 21:29 | 日々

谷中にて

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昨日は病院の後、ケーキを買いに谷中へ回った。義母の誕生日を祝うためだ。
お気に入りのケーキ店は相変わらず人が並んでいてドアマンが立っている。
ちょっと寂しいような複雑な気持ちがするのは、私が例の長期入院をしていた頃にこのお店がオープンして、主人が会社帰りに時々持って来てくれた思い出があるからだろう。
あの頃は、暗闇の中にぽつんと灯った店の明かりが還るべき別世界への入り口のようだった。

バースデーケーキは15分ほどかかるというので、待ち時間の間近接する谷中墓地を少し歩いた。
あちこち工事中で足元が悪い。案内板をみるとこの辺りは寛永寺の区画らしい。立派な由緒ありげなお墓に混じって、新しく建てられたらしいものや造成中のものも多い。
少子化や家制度の消滅?や、様々な変化の中でお墓を手放す人が多いと聞いた。我が家にもこの辺りの墓地の広告が毎週のように入ってくる。
従来の埋葬に替わって、散骨や樹木葬を選ぶ人も増えたし、カプセルホテルのように仏壇がずらりと並んだ納骨堂式のものも人気だという。
それはそれで便利だったり生きている者達への負担が軽い等の長所も多く、私個人としては反対ではない。むしろ散骨や樹木葬は昔から密かに考えていたことだ。
私は変な人間で、死んだら陽光の降り注ぐ小高い丘に埋めてもらい、好きな樹々(ミモザや雪柳や紫式部や連翹、小手鞠…楡、とコロコロ変わるが)を植えてもらうのが夢なのだ。

それはともかく、今は死が身近に感じられることが少なくなっているし、「先祖の墓を守る」ことの負担を声に出せるようになったのは良いことだと思う。しかし、一見すると死者に煩わせられることから解放し、生者を尊重するように思われる今の風潮は、どこか覚束なくて、むしろ死者という相方を失った生者が行く道を失って彷徨しているような気がする。
少なくとも、墓参りの際に、ふと慶應年間に生きた先祖を見つけ「あの激動の幕末を生きた人間が我が家にもいたのだ」と(当たり前のことなのに)驚き、「どんな人生だったのだろう」と思い巡らしたり、彼を含めもっと遠くから脈々と流れてきた血が自分を形作っていること、更に自分の想いも乗せてその先へと流れて行くはずであること、等に思いを致す…などということはなくなってしまうことだろう。
極普通の日々の生活の中で、「死」が相対的に価値を持たなくなるということは、同時に「生」の価値も下がるということではないのか。

墓というものが、納骨堂式のように個人的なものか、散骨のように自然、地球といった極めて観念的なものへの回帰かという二方向に引き裂かれつつあるのは、日常の一部としての「死」が空洞化しつつあり、今の日本人が呼吸のように自然な「死を内包した生」を捉えきれなくなっているのかもしれない。


陽は西に傾きつつあった。
空気は凛と冷たいが心地よい。墓地のあちこちに横広がりに枝を張った桜の樹が静まり返って立っている。他にも幾種類かの樹が寄せ植のように所在なげに群れているのだが、その中に抜きん出て高く姿の美しい木があった。銀杏だ。彫刻のように計算され尽くした形は「神の手業」という言葉を思い起こさせた。

ケーキ店前に戻ると、並ぶ列はなくなっていた。店内にも人影はない。
「こういう瞬間もあるのだ」
と思った。
不思議な時間に立ち会ったような感覚。
私達を見つけ店内から人が出てきてケーキを手渡してくれた。
私達は礼を言って車を出した。
右折して根津へ向かう坂を降る。
不忍通りへ入ると、せせこましい日常の喧騒が戻ってきた。
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by treeintheheart | 2014-01-19 10:43 | 日々
3月1日、私は《セナのピアノ~Close to you》 で目が覚めました。携帯の着信音です。
けれども、枕元の携帯を取り上げた時には、もうメロディは途切れていました。
5時28分…こんな時刻に?
受信履歴を確認しましたが、何も記録が残っていません。
私は、思い出しました。
丁度一週間前の早朝、母は亡くなったのですが、5時17分に介護スタッフの方と話した記録が残っていて、発見されたのが50分頃ですから、5時28分というのは母が亡くなった時刻なのかもしれません。

母と最後に会話したのは、夕食の支度を終えて家族の帰りを待っているときでした。息子が帰って来たので
「また後で電話するね」
と、慌てて電話を切ったのでした。
結局「後で電話する」ことはできず、電話で約束した「水曜か木曜に行く」こともできませんでした。

待ちぼうけが母の背中を押してしまったのでしょうか。
あの朝、救急隊員からの二度目の電話は、
「心臓マッサージ等の蘇生の為の処置をもう辞めていいか、家族の許可が欲しい」
という内容でした。妹や家族と話す時間も与えられないまま私は承諾しました。受話器の向こうで、お医者様やスタッフの会話や器材の音が一頻り聞こえ、やがて静まりました。お医者様の声でしょうか、「6時38分に死亡を確認」した旨を告げる声がしました。
母と対面したのは、それから8時間後でした。

その後、死体検案書から母が亡くなったのは5時半頃だったことが判りました。それでも、私には6時38分という時刻とそれを告げた声、そして
「覚悟はしておりました、ありがとうございました」
と言った自分の声が忘れられないのです。
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by treeintheheart | 2014-01-15 09:58 | 父母の記録
母は月曜日に入院するはずだった。

父が亡くなって以来食事の量が極端に減り、栄養状態が悪くなってしまったためだ。2月に入ってからは殆ど寝たきりになり、電話にも出ない。
父の四十九日の法要も、当日朝「体調が悪いから」と着替えさせられず、施主のいない法要になってしまった。
私も母の元に駆けつけられる状態ではないし、いくら24時間ケア付きとは言っても独りで置いておけないので、しばらく入院することになったのだ。
「こんなふうになってしまって…」
「毎日パパに『早くお迎えに来て』って言ってるの」
そんな母に言うべき言葉も見つからず、身体を擦りながら
「そんなこと言わないで」
と口の中でもごもご言うのが精一杯だが、本当は言いたいことは山ほどある。
「そんなにパパのことを思っているなら、なぜもっとやさしくしてあげなかったの」
こみ上げてくる言葉を必死に押し戻す。

春に骨折し、手術とリハビリを経て漸く退院してきた父に、母は一日中罵詈雑言を浴びせ続けた。
介護付きの高齢者向け施設とは言っても、細かいケアは母がしなければならないし、気難しい父の指図通りに行うのは骨のおれる仕事だっただろう。まして母は多発性骨髄腫と甲状腺疾患を抱えている。本来、自分がケアしてもらう立場である。父の世話はかなりの負担だったに違いない。
そのことを差し引いても、母を介護し看取ることを人生最後の目標にしていた父には辛い状況だった。母の悪口は、娘である私や妹の前ばかりでなく、私や妹の主人、孫、介護スタッフの前でも止むことはなかったからだ。
認知症が骨髄腫とともに進行しているのか、心の箍(タガ)が外れてしまった、としか言いようがない母の言動だった。

父の容態が急変し緊急入院した時、母が「介護スタッフが無理矢理入院させた」と騒ぎ立てるので私は困惑した。
「そんなに悪かったのなら私が気づくはずだ」というのだ。気付いてあげられなかった自分を責める気持ちの裏返しだったのだろう。

年末年始、私と妹は交代で父の病室に詰めた。母が父の状態を理解できているか、私達は少し不安だった。何度お見舞いに連れて行っても、母は「一度も行っていない」という。まるで「あれは夫ではない」と、母の脳が理解を拒んでいるようだった。
危篤に陥った夜は、母の体調が悪くて私達は母を病室に連れて行くのを見合わせざるをえなかった。
「朝になったらママを連れてくるから、それまでがんばって」
そう声をかけ続けたが、結局、息のあるうちに二人を会わせることはできなかった。

父の身体が丁度整えられ終わった頃、夫の押す車椅子に乗った母がやって来た。
「大丈夫?」
駆けよって尋ねると緊張しているのか、ほとんど冷たいと言っていいくらいの声で
「大丈夫」
と応え、そのまま病室に入って行った。

ベッド脇に車椅子が着けられると、母はゆっくり立ち上がってベッドを覗き込んで
「いい顔してる」
と呟いた。
母の手がそっと父の顔に触れた。
「よかった、苦しまなくて」
それから父の頬、顎、額、髪と撫でた。黙したまま何度も何度も撫でていたが、やがて父に語りかけ始めた。
「ありがとう。
わがままな私と
ずっと一緒にいてくれて。
ありがとう
私、幸せでした。」
それから、母はそっと父にキスをした。
何の翳りもない、一瞬の自然な仕草のように。
私は、呆けたようにそれを観ていた。


それから四十九日目の朝、母は逝った。
頑として入院を拒否し、仕方なく様子見をすることになって4日後だった。
知らせを受けて、最初に私が思ったのは、
「ああ、やはり父が連れて行ってしまった」
ということだった。
あの小さなキスは、別れのキスではなくて、新しい始まりを誓うキスだったのかもしれない。
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by treeintheheart | 2014-01-14 15:10 | 父母の記録

年賀状(2013/01/08 09:14)

医師が時刻を告げ、機器類が取り外されたあと、私は夫と義弟に母を迎えに行ってもらった。

朝のやわらかい陽光の中で、動かぬ父と私たち姉妹が残された。私たちは病室の片付けを始めた。病室は暖かく、父の手も温かかった。あまりにも柔らかいので、陽光の中に溶けてしまいそうだった。

こんなにも痩せられるのか、と思うほどその腕は細く、点滴や様々な注射の跡、太腿の手術の傷が、歴戦を物語っていた。
けれども「過酷な戦い」と表現するのは何だか空々しいほど、父は常に前向きだった。
春に入院した時も、退院が二度も延期になり、さぞ気落ちしているだろうと思いつつ病室を覗いたら、意外に明るい表情の父がいた。
「リハビリの時間が増えたと思うことにした。退院までに歩けるように頑張る」
そう言う父の目は文字通り『キラキラして』いた。
普通の人の腕ほどもない脚で歩む一歩はきつかっただろう。脚があるはずの白い布団の下は何も無いように見えた。

病室には私物は殆どなく、片付けは数分で終わってしまった。財布。手帳、筆談用のノート、母の写真…それらにまじって二十枚ほどの年賀状があった。既に父の名が印刷してある。
父は筆まめで、働き盛りには二百枚近い年賀状を出していた。一枚一枚にやや癖のある達筆で必ず一言添えてあった。
見つかった年賀状は、まだ宛名も書かれていなかった。誰に出すつもりだったのだろう。わずか二十枚の年賀状を書く力が既になくなっていた。
選びに選んだ相手だったに違いない。どんなメッセージを書くつもりだったのか、いまとなっては知る術もないけれども、そこには新しい年を生き抜こうとする父の強い意志が感じられた。

昨年は両親に振り回されっぱなしだったが、特に秋以降は意地っ張りで頑固な父の「頑張り」に手を焼いた。
その父が「力尽きて」横たわっている病室は、朝の光が妙に明るくて、馬鹿馬鹿しいくらい明るくて、父はただただ静かに横たわっていた。
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by treeintheheart | 2014-01-14 12:50 | 父母の記録

現状 (2012/05/26 06:51)

今年に入り父が急に寝たきりになり、3月には入院した。同時に母の認知症状が進んで財産管理が覚束なくなった。一時はキャッシュカードが全てなくなったし、父の入院先をタクシーに言い間違える。父と祖父を取り違える。物忘れは重傷で一日3時間位は同じ話、問い合わせの電話に付き合わなければならない。これに心身を安定させる為の体内の全ての物質を使い果たしてしまうのか、私の全身の痙攣や硬直は毎日だ。意識朦朧として全身が冷えていくが、助けを呼ぶこともできない。
それでも毎週末、父母の用事で動かなくてはならない。家族の負担も半端ではない。母は私を非難し続ける。「あの子は信用できない」「あの子は何もしてくれない」と妹に言い「逆らっちゃいけないから」と同調する妹。先日は父の同意を得て預かっていた貴重品類を妹が母に渡してしまい事態は泥沼化…それでも今日も一日予定が詰まっている。
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by treeintheheart | 2014-01-14 04:22 | 父母の記録
先日ご紹介したハムレットのセリフですが、きちんとした訳もご紹介しておかないとシェイクスピアが気の毒なので、翻訳された当時、画期的だった小田島雄志先生の訳を載せておきます。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。
どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに
 暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、
それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、
闘ってそれに終止符をうつことか。
死ぬ、眠る、それだけだ。眠ることによって終止符はうてる、
心の悩みにも、肉体に付きまとうかずかずの苦しみにも。それこそ願ってもない
終わりではないか。死ぬ、眠る、
眠る、おそらくは夢を見る。そこだ、つまずくのは。  

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

はい、私の訳が如何に滅茶苦茶かよくわかりますね。
それ以前の訳に比べて自然で話しことばに近く、舞台で喋りやすそうです。

調子に乗って面白い訳を見つけたので、ご紹介します。お楽しみください。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



(関西)
どないしょう! 
こうしててええのやろか、あかんにゃろか? それが問題やなあ。
このままじぃっと動かんと、えげつない運命の嵐が通り過ぎてしまうのを待ってるのんか、
それとも押し寄せて来る難儀に正面から向こうていって、もうええちゅうとこまで、きっちりかたつけるんのか、どっちや? 
めんどくさい、いっそ死んでしもうたろかしらん。……
(『英語青年』1986年6月号、「ハムレットさまざま(2)」(安東信介)より抜粋)



(東北)
生ぎでだ方がいいのが、死んだ方がいいのが、それが問題だジャア。
どっちが男らしい生ぎ方(がだ)だが、おどなしィぐして、不法な運命の矢弾を耐え忍(しのん)ぶのど、そえども剣を取ってドット押し寄せで来る難儀さ立ぢ向(むが)ってェ、とどめ刺すまで後(あど)さ引がねのど、どっちだめなァー。
いっそ死んでしまった方がいいべが。……
(『英語青年』1986年7月号、「ハムレットさまざま(3)」(安東信介)より抜粋)
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by treeintheheart | 2014-01-10 13:30 | シェイクスピア

このままでいいのかな…

こんなふうにしてていいのかな…
まずいのかな…問題はソコなんだよね。
どっちが立派なんだろう。
身を屈めて理不尽なことをされても
じい~っとひたすら耐え忍ぶか…
トラブルの海に立ち向かって
きっちりケリをつけるか…

…死んだって眠るのと同じさ
眠ってケリがつくなら、
こんないいことない…
もう心の傷にも、
身体の痛みにも
苦しまなくて済む…
死んで…眠って…
眠って…

夢をみるかも?
…コレだもんな。
死んでしまった後、
一体どんな夢をみるんだろう…


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


お気づきかと思いますが、
この呟き?は、実はシェイクスピアの有名なお芝居「ハムレット」の中のこれまた有名なセリフの一部です。
かなりいい加減な、崩した訳ではありますが、まるで今、日本の何処かで呟かれたと言われても、あまり違和感がないようにおもいますが、いかがでしょうか。
不謹慎なようですが、私はイジメを受けている子を連想してしまいました。

400年以上後に生きている私達の心にすんなり沁みる、或いは自分の身に起きたことのように心を揺さぶられる…
シェイクスピアが「千の心を持つ」と言われ今でも世界中で上演されるのは、そういうところなのでしょうね。



*原文*(現代英語)


To be, or not to be: that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them. To die: to sleep;
No more; and by a sleep to say we end
The heart-ache, and the thousand natural shocks
That flesh is heir to, 'tis a consummation
Devoutly to be wish'd. To die, to sleep;
To sleep: perchance to dream: aye, there's the rub;
For in that sleep of death what dreams may come,…
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by treeintheheart | 2014-01-08 16:19 | シェイクスピア

家族の中で一人だけ

子供は親を選べない

親もある意味子供を選べない

家族の中でただ一人、自分で選んでともに暮らしているのが夫(または妻)なのだ
…と、昨年は繰り返し思った。
「仕方ない、自業自得だわ」
「やっぱりこの人でよかった」
いい歳をして相手の言動に一喜一憂。

ン十年前、大学のチャペルで唱えた誓いの言葉…今にして思えば、軽い気持ちでだったと思う。
不真面目だったわけじゃない。
その言葉の重さは十分解っているつもりだった。
でも、こんなにも実行するのが大変だとは。


『今日この日より、私は貴方を妻(夫)とし…順境のときも逆境にあっても、富めるときも貧しいときも、健やかなるときも病のときも…死が二人を別つまで…愛し慈しみ…』

若かったよね。ビンボーの苦しさも病気の辛さも全然解ってなかったんだなあ…
と言うより、自分が「不治の病」になるなんて思わなかったもの。

あの時、今日の私が見えていたら、絶対この結婚はしなかっただろう。母は反対だったらしいし(と一昨年知った)他にプロポーズしてくれた人もいたのだけれど(しかもそのうち二人は未だ独身だ…と、これも一昨年知った)。
でも、こんな状況でも「なんて幸せなんだろう」って思う一瞬一瞬があるから不思議だ。
そりゃもう「幸せ」って感じるハードルがうんと下がってますしね。「自分磨き」なんて好きじゃないし。多分、世間一般で言う「幸せ」とは求めるものが違ってきているのかもしれない…けれど…
やっぱり…同じ過ち、もとい選択していたかもしれないなあ。


I take thee to my wedded wife, to have and to hold from this day forward, for better or worse, for richer or poorer, in sickness and in health, to love and to cherish, till death us do part, according t God's holy ordinance; and thereto I plight thee my troth. 
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by treeintheheart | 2014-01-07 04:41 | 日々

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart