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『グルッと回ってドライ』

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今年5月以来、村はずれの小屋のような私のブログを訪れてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

自らの病のこと、
父母の死、
古くて新しい嫁姑問題、
それらに伴う介護問題、
いじめ、不登校、セクハラ等、学ぶ環境の問題、
夫の会社の経営陣の有り得ない無能ぶり、
揺らぐ橋を渡るような子供たちの進路、
私達を脅かしている存在のこと、
何処にもある、でもどれひとつを取っても2クール分のドラマができそうな事件が次から次へとやって来て、私と私の家族の胸ぐらを掴んで振り回した一年間でした。

家族一人一人が自分の限界と戦いながら、谷底へ転がりおちるか、レベルアップかの消耗戦に疲れていきました。
そんな中で、お互いに無関心だったり批判的のように見える子供達が、深夜のリビングや送迎の車の中などで私と二人きりになった時、驚くほど的確な意見をいったり、家族を思いやる言葉を呟いたりするのでした。

ある時、長女が言いました。
「ウチの『ドライ』は『グルッと回ってドライ』なんだよね」
おざなりな同情や慰め、励ましの言葉はかけない。
そんなものはもう大前提、当然のこととして心の中にある。だから、その次のステップから反応しているのだということのようです。

「何だか妙に苦労慣れしちゃってるなあ
「他人様にはなかなか解ってもらえないから、そのやり方は止めといてね」
と私は一人苦笑せざるを得ませんでした。

でも、本当は笑い事ではないのです。
子供達は皆、人生で最も自由な、花ざかりの季節にいます。それを否応なしに縛りつけているもの(その最大のものは何を隠そうこのワタクシですが)から解き放ち羽ばたけるように手助けすること…それを来年の目標にしようと思っています。

それにはまず、自分の足でマトモに歩けるようにならなくちゃ。


とりあえずあと一日、無事に過ごせますように。
そして、新しい年が良き日々となりますように。
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by treeintheheart | 2013-12-30 18:59 | 日々

パワーをいただきました ①

「寒中の木の芽」
      内村鑑三


 春の枝に花あり
 夏の枝に葉あり
 秋の枝に果あり
 冬の枝に慰めあり

 花散りて後に
 葉落ちて後に
 果失せて後に
 芽は枝に顕はる      

 嗚呼 憂いに沈むものよ
 嗚呼 不幸をかこつものよ
 嗚呼 希望の失せしものよ
 春陽の期近し

 春の枝に花あり
 夏の枝に葉あり
 秋の枝に果あり
 冬の枝に慰めあり


明治時代の知識人でクリスチャンとして有名な内村鑑三の詩です。
クリスチャンにとって愛、希望、信仰を持つことはとても大切なことだと、遠い昔に聞きました。


春の花、夏の葉、秋の果…それらに比して
一見、何も持っていないように見えるけれど、芽を育んでいるのは冬なのだ。

信じよ、慴れるな
必ず希望はある

内村鑑三の想いは、深く静かに私の心に沁みいって、やがて根を張り、挫けやすい私を支えてくれる言葉のひとつになりそうです。

とはいえ不幸と困難の中にも希望を持ち続けることは、決して容易いことではないですよね…。
殊に自分が誠意をこめて最善を尽くしたあげくに、誤解や裏切りにあった時の絶望感は、言葉では表し難いものがあります。

人智の限界を感じた時に私達は屡々自然に目を向ける。空や海の果てしない広がりや変化の多様さに自らの小ささを思い、一方で小さな儚い生命の持つ強靭さや揺るぎ無さに畏敬を感じる…たぶん私たちのほとんどが、そういう経験をしているのではないでしょうか。

普段は自然のことなどまるで無関心か利用するばかりの人間にさえ、自然は分け隔てなくその最良のものを惜しみなく見せてくれます。此方に何も強いることなく。そこから何を掴みとるかは私達にゆだねられているのでしょう。
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by treeintheheart | 2013-12-29 08:59 | 文化と言葉と…

ごめんなさい、また愚痴です

今日は病院の診察日だったのに、キャンセルしてしまった。
主治医の先生がせっかく色々考えて紹介してくださったのに。
わずか10分の診察だけど往復や待ち時間を含めたら2時間以上かかる。付き添う家族の負担を考えると、耐えられなかった。
…と言えば聞こえはいいけれど、嫌な顔をされるのが嫌だった。

「嫌な顔なんかしていない」
「考えすぎ」というだろうな。

つい先日も義母に
「勝手に病気になったくせに」
と言われたことを夫に話したら、
「そんなのいちいち気にするな」
「いつも悪い方に考えるんだから」

…貴方は痛くも痒くもないものね。
「知らなかった」「気づかなかった」んだから善意だよね。
感じかたは個人差だし、経験してない事を理解するのは難しいもの。

でも、このままでは私は…

本当に一人で動けなくなってからまだ半年にならないのに…
この先どうなるのだろう。
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by treeintheheart | 2013-12-21 18:07 | 日々

被災地を旅する友へ

随分ご無理をして行かれたようですが、体調いかがでしょうか。

確かに、其処に行かなければ、住まわなければ判らないことは沢山あると思います。ただ、今から其処で暮らしたところで、「あの日居なかった」ということになるでしょうし、むしろ外からしか見えないものを確り見据えることしか出来ないのだ、と納得することも大切だと思います。

「なぜこの土地を離れないのか」と質問なさったのですか。らしくないというか、らしいと言うべきか…
相手の方が穏やかな方で幸運でしたね。


原発の影響そのものについては地震直後から考えて来ました。
その頃どこかで書いた通り、これから障害を持った子供が生まれる可能性も高いし、それは外で遊ばせないとか、他所のお宅で出されたものを食べないとか、そんな方法で解決出きるものではないと思います。
寧ろ人と人とを分断し、自分だけが助かれば良いという思考パターンを育てるという意味ではマイナスとしか思えません。

その一方で「東北をサポートしよう」という美辞麗句が踊っている。「絆」なんてキャッチフレーズは一種の狡猾さを感じる、と言ったら言い過ぎでしょうか?
確かに、被災地では多くの人が非日常的な、奇跡のような体験をしたに違いない。
けれども、それは特殊な条件のもとで人間の奥深いところから発露されたもので、日常の中に常在させるには無理があるような気がします。
結局、似て非なる安っぽい「絆」が横行し、本当に「繋がった」瞬間を、其所から私たちが汲み上げなければならないものを埋もれさせてしまう。それでなくとも疲弊した被災地の人々の身体を思考を縛り付け、救われる道を閉ざしていないか、と…これは私の想像に過ぎませんが、漠然とした不安を感じるのです。


「被災地の救済」を考えるとき、その土地を救うのか、人を救うのか、は、本来切り離して考えるべきものではないでしょうか。
三宅島や雲仙普賢岳の災害では、側から見ている第三者の殆どが「住民は避難すべき」と考えました。けれども、東北の被災地域の住民に対して、そのような声は薄い。
その理由として、放射能被害の多くが可視的でなく、数値の検証も難しいこともある。
また、被害者の数、被害額、被災した土地、いずれもこれ迄にない規模で受け皿が準備できないという問題もあり得る。
さらに、国策として推進してきた原子力のマイナス面を体現する人とモノが、野放図に拡散していくことは権力を握っている側にとっては得策ではないのかもしれません。

また、イメージ的な問題もあります。幸か不幸か、東北地方は言わば「日本人の心のふるさと」であり、素朴で温かくて今は失われた貴重なものが残っている土地とされてきました。この土地と人を切り離してしまうことは、個々の心のレベルでも多少の抵抗がある人は多い。それが無言の圧力になって最初から検討すらされない事が多々あるとすれば、悪意ではないだけに改めることは難しいでしょう。さらに、イメージが壊れ商業的価値が半減してしまうというのは、私たちの想像以上に重要な要素なのかもしれません。

いずれにしても、様々な悪条件がかたく結びついた結果、被災者も被災地も共に生まれ変わることができずにいる、そんな気がしてならないのですが、現場を見たこともない人間の、ただのセンチメンタリスムの産物かもしれません。

「○○○は元気です」
「私達は此処でちゃんと生きているんです」
「見に来てください。そしてお金を落としていってください」
日本中が元気がないときに、彼等の必死の「元気」がどこまで受け止めてもらえるのか、そしてその何割が彼等の元に投げ返してもらえるのか…考えると胸が痛くなります。
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by treeintheheart | 2013-12-17 10:05 | 考えていたこと

ちょっとへこんでます(;_;)

2週間に1度、英会話のレッスンに通っています。

家から殆ど出ない私が、唯一ひとりで外出するのが、これ。
英会話自体は、病を得て仕事を止めてから始めたのですが、以前通っていたクラスはフリートーキング主体で、時事問題から歴史、文化、身の上相談まで多岐にわたる話題が刺激的でした。でも、2年ほど前、突然閉鎖になってしまいました。

今のクラスは7月から参加しました。
のんびりとしていて、衰えの激しい私の身体レベル(特に脳)に丁度いい刺激になってくれます。

前クラスからの友人やスタッフの方に介助していただきながらのレッスンなので、申し訳なくもあり、ありがたくもあり…。他人様の親切を素直に受ける心持ちになれる不思議な時間です。

ですが…
今日は大遅刻しました。
行けば元気になることはわかっているのですが、ここ一週間近く、ほぼ寝たきり状態だったので、義母に
「なにもしないで寝てばかりいるくせに、そういう時は動けるのね」
と言われるのが怖くて、ギリギリまで迷っていたのです。
(別に、義母が家事を代わってくれたわけじゃないんですけどね。)

結局、意を決して行きましたけど…

くだらないよね。
こんなことでエネルギー使いたくない。

ハァ…

私が留守の間、また大声でご近所とアルコトナイコト話してるんだろうなあ。

でも、義母に頼まなければない時もあるし、結局、我慢するしかありません。


…って、すっかり愚痴日記になってしまいました。
すみませんm(_ _)m
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by treeintheheart | 2013-12-04 20:48 | 日々

マリアの悲しみ( 2010/12/25 00:11)

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クリスマス
世界中が陽気に浮かれ騒ぐ

約2010年前のベツレヘム
砂漠の町は寒かったのだろうか
若いマリアは どんな思いで
その時を迎えたのだろう

10ヶ月前
思いがけない来訪者
天使ガブリエルは告げた

《受胎告知》

天使の言葉に
マリアは静かに答えたという
「わたしは主のはしためです、
お言葉通りこの身になりますように」

その時マリアはイエスの運命を
どこまで知っていたのだろう

星空の下
生まれたばかりのイエスを胸に抱いて
その鼓動を感じながら
無学な貧しい女は
何を考えたのだろう

我が子であって我が子でない
救世主と呼ばれるであろう小さな命

自分の腕の中に眠る小さな赤ちゃんは
他の子と何も変わっては見えないのに
今こうして安らかに眠っているのに

神様 どうして
この子でなければならないのでしょう
私は平凡な女です
どうか同じように
平凡な運命をこの子にも
お与えください

押し殺された叫び
赦されない願い

広すぎる砂漠の中で
溶けていく小さな決意

12年後
イエスは神殿を父の家と呼び
その知恵で学者達を驚嘆させる

その時マリアはどうしたか
聖書は次のように書き残している

《すべてのことを心に留めていた》

告げられた運命の最後まで
マリアは息子とともにいた
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by treeintheheart | 2013-12-02 10:31 | 詩、物語、短歌…