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病者の祈り

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ニューヨークにあるリハビリテーション研究所の壁に、一人の患者が書いた「病者の祈り」という詩が書かれています。


 大事をなそうとして
 力を与えて欲しいと神に求めたのに

 慎み深く従順であるようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるように
 健康を求めたのに

 より良きことができるようにと
 病弱が与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに

 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして
 権力を求めたのに

 神の前にひざまずくようにと
 弱さを授かった

 人生を享受しようと
 あらゆるものを求めたのに

 あらゆることを喜べるようにと
 生命を授かった

 求めたものは
 一つとして与えられなかったが

 願いはすべて聞き届けられた

 神の意にそわぬ者であるにかかわらず

 心の中のいい表せない祈りは
 すべてかなえられた

 私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かに祝福されたのだ




誰とも知らないけれど、同じような荷を背負い、同じように探し求めた人がいる。
それは当たり前のことだけど、こうして具体的な姿を取って現れると、たじろぐものがあります。


これが唯一の答えとは思わないけれど、この言葉をつむぐまてには、いえ、紡ぎ出した後も、どれほど眠れぬ夜を過ごしたのだろう。


それにしても、いつも、なんとタイムリーに立ち現れることか。
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by treeintheheart | 2013-11-22 12:20 | 考えていたこと

苦味のはなし

たいていの子供は苦味が嫌いです。
これは本能的なもので、毒物には苦いものが多いので、知識や経験の少ない子供でも身を守れるように作られているのでしょう。

でも、大人になると、苦いものが食べられるようになったり、好きになったり、時には、無性に苦いものが食べたくなる、「身体が今、それを要求している」とはっきり感じることさえあります。
これは、苦味というレアなものを味わうことでリフレッシュしようとしているそうです。

調査によるとストレス後は、苦味の感受性が低下し、苦味のある食品をおいしいと感じる傾向があります。また、食に対する興味や関心が強いほど、食品の苦味を好む傾向も強くなり、ストレス解消の手段として苦味をより求めるようにもなるそうです。

数種類ある苦味成分のうち、アルカロイド系の大半は、神経に作用する毒性あるいは生理作用があります。例えば、カフェイン、テオロミン、ニコチン等、適度な量なら緊張を緩和させたり、逆に神経を興奮させて眠気を防止したり、気分転換や思考力を回復するのに役立ちます。

また、ホップは、ビールの芳香、苦味、泡立ちの素ですが、雑菌の繁殖を抑える働きもしています。
ホップ由来の苦味物質・イソフムロン類には、肥満・糖尿病・動脈硬化などの予防や改善、発がんの抑制効果など、広範囲な生活習慣病に効果がある可能性が出てきているとか…まだ実験段階だそうですが、ビール好きには夢のような話ですね。



なかなかお役立ちの苦味ですが、…人生の苦味も、きっと、きっと、こんなふうに色んな作用をして、私たちを味わい深ぁぁく育ててくれているのでしょうね。
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by treeintheheart | 2013-11-18 15:44 | 日々

You'll Never Walk Alone

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You'll Never Walk Alone


When you walk through a storm
hold your head up high
And don't be afraid of the dark.
At the end of a storm is a golden sky
And the sweet silver song of a lark.
Walk on through the wind,
Walk on through the rain,
Tho' your dreams be tossed and blown.
Walk on, walk on with hope in your heart
And you'll never walk alone,
You'll never, ever walk alone.
Walk on, walk on with hope in your heart
And you'll never walk alone,
You'll never, ever walk alone.


『君は独りぼっちじゃない』
詞:オスカー・ハマースタイン二世
曲:リチャード・ロジャース     
♪嵐のなかを進むなら
顔を上げて前を向こう
暗闇を恐れるな
嵐の向こうには青空が広がっている
小鳥の優しい歌声が待っている
風に向かって進もう
雨にうたれても歩みを止めず
たとえ夢破れようと
行こう、進むんだ
希望を胸に抱いて行こう
君は独りぼっちじゃない
君は独りぼっちじゃないんだ♪


~~~~~~~~~~~~~~~~~

先日の日記で言及したYou'll never walk alone.の全文です。
もともとは「回転木馬」というミュージカルの中で歌われる歌だそうですが、
現在、リバプールFCだけでなく、イングランド代表をはじめ、世界中のサポーターズソングとして親しまれています。日本ではFC東京のサポーターソングとなっています。
ちなみに、リバプールと対戦する相手チームのサポーターは"You'll never walk again."(二度と歩けなくしてやる!)と言い返すとか…F7CE.gif
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by treeintheheart | 2013-11-17 01:58 | 映画、DVD、音楽

「愛について」

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イングランドのサッカーチーム【リヴァプールLiverpool】の応援歌として有名で、最近では東京FCの応援でも歌われる"You'll Never Walk Alone"の全歌詞を知りたくて検索していたら、次のような言葉まで引っかかって来ました。

結婚式等でよく引用される愛について書かれた新約聖書の言葉ですが、一方で、故ダイアナ妃の葬儀でも引用されたそうです。



Love is patient,
love is kind.
It does not envy,
it does not boast,
it is not proud.
It is not rude,
it is not self-seeking,
it is not easily angered,
it keeps no record of wrongs.
Love does not delight in evil
but rejoices with the truth.
[I Corinthians 13:4-6]


愛は寛容であり、
愛は親切です。
愛はねたまず
愛は奢らず、
愛は高ぶらず。
礼節を知り、
自分の利益を求めず
滅多に苛立たず
人のした悪を思わず
不正を喜ばずに
真理を喜びます。


この言葉をそのまま実行しようと思ったら、とてもとても大変そうですね。

私は中学生の時、この文章(聖句というのですが)を知って、読んだ瞬間、嫌いになりました。

だって!
この文章を書いた聖パウロによれば、
「愛とは、辛いことを耐え、
自分がやりたいこと
を我慢すること」
に尽きるようです。

「そんなふうに自分をいい子に仕立てて、心を偽っても、それは本当の愛情じゃない。
本当の愛なら、自然のままに内側から溢れでて来るものじゃないの?
自分を見失ってまで愛を手に入れたくない」
などなど生意気なことをたくさん考えました。

今はもう、そんなふうには考えませんが(笑)


愛という言葉を「あの人は」と置き換えてみてください。
親切で辛抱強く、穏やかでありながら正義感のある人…
確かに、そういう人に傍にいてもらえたら安心だろうな。
中でも、「人のした悪を思わず」という個所です。失言、失敗の多い私にはありがたいです。
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by treeintheheart | 2013-11-14 06:55 | 聖書から
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昨日は穏やかに晴れて、清々するような青空にほっとしました。

今年の夏は本当に暑かったですね。そして、その後の竜巻や豪雨、大型揃いの台風…まるで誰かが日本を洗濯機に放り込んだみたいでした。

…というわけで、我が家の浴室の出窓、普通ならずっとブラインドを降ろしっぱなしになるはずでした。
けれども、7月末に夫が思いがけない発見をしたのです。

それは、出窓の底板?とサッシの継ぎ目の間にあったらしい隙間から、蔦の一種らしい蔓が侵入して来ていたのでした。
「すごぉい、こんなところから!」
「何だか健気だね、カワイイ」
「緑があると和むねぇ」
などと呑気なことを言っているうちに、小さな蔓はすくすく伸びて…
2週間もすると、最初の写真のようになりました。

(古い家なので各所の汚れには、どうか目をつぶってやってくださいませ)


この頃まではよかったのですが、西日射す暑さにも負けず、9月に入っても蔦は伸び続けて出窓は殆どジャングル状態。
その生命力に何だか不安になって来ました。
「切っちゃったほうがいいよ」
「隙間がどんどん広がっちゃうんじゃない?」
夫は
「かわいいのになぁー」
と渋っていましたが、ある日、決定的な事が起こりました。

「おとうさ~ん、お風呂に芋虫さんが泳いでる~!」

さすがに芋虫と混浴する気にはなれません。
5分しないうちに青々とした浴室の出窓は、元の無機質な風景に戻ったのでした。
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by treeintheheart | 2013-11-09 08:54 | 日々
私のささやかなブログ訪ねてくださる皆さま、今回は、随分理屈っぽい生意気なことを書きます。
苦々しく思われたり退屈だったら、ごめんなさい。
でも、何の知識も知恵もない私が、ずっと感じてきたことを少しまとめてみましたので、皆さまにも聞いていただきたかったのです。
私は今は学生ではなく、ある程度歳も重ねました。ですから身近にいて教え導いてくださるのは皆さましかいません。そこで、皆さまの厳しい目に私の拙い文章を曝そうと、ない勇気を振り絞りました。
前置きが長くなりましたが、どうかよろしくお願いします。


    ∞∞∞∞∞∞∞


毎年、文化の日には沢山の人が様々な賞を受賞する。
しかし、ごくおおざっぱにいって日本は文化に対し冷たい国である。

芸術であれスポーツであれ、一角の者となるまでは自助努力に任せられる。まさか芸術は貧困と周囲の無理解の中で育つイメージが未だにあるのだろうか。
世界的な水準からみて日本の企業や富裕層は、今も昔も文化の育成発展にたいする貢献が少ない。(これは貴族意識や選民思想とも関わってくるものだと思うが、ここでは省く。)
企業、富裕層ばかりでなく、一般人も文化に対しての意識は偏っている。賞やメダルをとると持て囃し、彼の偉業や育てられ方を微に入り細に入りレポートするくせに、そういう評価の明らかでない物に対しては無関心だ。一体彼らが誉めそやしているものは、作品そのものなのか賞やメダルなのか。
というより、明確で一般的な評価がされないものにたいしては、「どのようなリアクションをとればよいのかわからない」とといったところかもしれない。

多くの親が「我が子の才能を発掘し伸ばしたい」と様々な習い事に通わせるが、その目指すものが本当に才能や芸術そのものか、それともそれがもたらすはずの人気や名誉や富にあるのか、厳しく己に問う親は少ないだろう。
というより、才能の発掘や育成が自助努力に任せられている以上、多くの親は「採算」を度外視できないのである。
だが、はっきりいって「採算」は「芸術」の芯の部分とは最も相容れないものだ。だからこそ、潤沢な資金の提供が望まれるのである。

しかし、多くの企業、資産家、行政にとって、投資ではなく、「見返りを期待せずに資金を提供すること」は優先順位が極めて低い。
多くの大企業が「そんなゆとりはない」というが、世界で五本指に入る経済大国の大企業がほんとうにそうなら、一体誰なら「ゆとりがある」のだろう。

その裏には、「文化」というものは、生活とは遊離しており、人にとって必需品でもなく、資金を注ぎ込んでも無駄な贅沢品だという認識を持っているからではないだろうか。(企業イメージのCMとは真反対だが)


広義での「文化」(芸術、スポーツ、建築等含む)が軽んじられる原因のひとつに日本人が個性、人と違うことを嫌う国民であることがある。


日本では個性、人と違うことを保持しようと思ったら大なり小なり何かを捨てなければならない。
また、日本人は何かを一並びにして順列を明らかにすることが好きである。(いわゆる「三大〇〇」がその良い例だ。)しかし文化、少なくとも芸術は本来順列を付けがたいものである。
この二つの傾向が顕著に表れているのが、教育の分野である。「どのような人間、社会であることが望ましいか」が問われ、その実現に向けて活動する場である以上、当然のことだ。

文化に深く関わるものに絞ってごく表面的検証に留めるが、多くの学校や幼稚園で少なくとも数年前に行われていた「同程度のタイムの子供達が一並びにゴールする徒競走」や「主役が大勢いる劇」や「異議が出ないディスカッション」は、将来にわたって個性を潰し、文化を軽んじ、身近では虐めを助長する一因となる。


それらに共通するのは同質化への肯定である。異質なものが補い合い或いは融合した結果ではない。「和を以って貴しとなす」のは良いことだが、初めから均質な物の和を図ったところでたかが知れている。(余談だが、日本人が交渉事に弱い一因はここにあるのではないかと思う。)

同質化を指向する体質が最も簡単な形で表れるのが、議論の場である。多くの場合、様々な可能性を検証し最善を選ぶのが目的であるから、色々な意見が出され厳しく検討されたほうが良いはずだ。
時には「自分は賛同するわけではないが…」とことわりつつでも異論を紹介したほうがよい場合さえあるかもしれない。
実際アメリカの授業では「同意見です」はタブーで何かしらバラエティを持たせるか、理由説明等を付け加えることが求められるようだ。
しかし日本では、誰かの意見に対立する意見を述べることは、意見そのものだけでなく、その意見の持ち主をも批判する行為とも受け取られかねない。

また、「主役が何人もいる劇」の裏には、総合芸術であり、豊かな学習の場である劇の制作と発表において、主役を頂点とするランク付けを持ち込んでいるわけで、そのことがもたらす損失は計り知れない。


これでは異質なものを受け入れる素地は育たない。「みんなちがってみんないい」が掛け声だけでなく、子供時代から浸透するようになれば、虐め等の問題も新しい局面を迎えるだろうことは容易に想像できるはずだ。


今年、多くの怒りと悲しみが日本全土を被った。余裕のないこのような時にこそ、文化的な作品や活動が必要とされることは、被災地で多くのコンサートが開かれていることからも推測できるだろう。

なぜなら文化は、決して贅沢でも気まぐれな手慰みでもなく人の営みの一部でありその精神を根底から支え、生きる気力を生み出す源だからである。

困難な時代だからこそ、文化に対する手厚い保護と、育成に力を尽くしてほしい。長い目でみれば、それが私達の子供世代への大きな贈り物となると思う。


     ∞∞∞∞∞∞∞


元々の文章は震災の年に書いたのですが、あれから社会では様々な事件があり、我が家にも大きな変化がいくつかありました。けれども、この社会はちっとも変わっていない、変わろうとすらしていない、というのが正直な気持ちです。変わっていれば、もしかしたら防げた不幸や悲劇もあったかもしれません。けれども、社会や時代を嘆くより、まずは自らが、とも。



最後に、機会があったら、どうかレオ=レオニの「フレデリック」をよんでください。

辛抱強くお付き合いいただき、ありがとうございました。
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by treeintheheart | 2013-11-04 14:23 | 文化と言葉と…

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart