カテゴリ:聖書から( 1 )

【100匹の羊がいました。
その中の1匹が迷子になってしまいました。
羊飼いは残りの99匹を置いて、群れからはぐれた1匹を捜しに行き、連れ戻しました。】


新約聖書の中の有名な「善き羊飼い」の話です。
でも…変ですよね。あとの99匹を置いていくなんて。現実の、普通の羊飼いならそんなことはしないのではないでしょうか。
「なぜ、これが善き羊飼いなんだろう」
と、ずっと思っていました。

でも、最近解ったことがあります。
それは、自分が99匹の側からのみ考えていた、ということです。
「自業自得じゃない」
「自分で何とかしたら」
というご意見にも一理ありましょう。
でも、その根底には、
「自分は決してその一匹にはならない」
という自負があるのではないでしょうか。
そういえば少し前、どこかの国の首長が「最大多数の最大幸福」とかおっしゃってましたっけ。確かに民主主義とは、そういうものかもしれませんが。

迷子になった羊はやんちゃで、羊飼いの言い付けを守らなかったのかもしれません。
それとも、体力が無くて群れから遅れがちだったのでしょうか。
或いは好奇心旺盛で、何かに気を取られているうちに逸れてしまったのでしょうか。
いずれにしても、今、その羊は生命の危険に曝されていて、羊飼いが助けに行かなければ、いずれ死んでしまうでしょう。
羊飼いは、群れとしてでなく一匹一匹を覚えていた。どの子もかけがえのない存在だから、このちょっと不出来な羊を捜しに行ったのでしょう。

ごく大雑把に言えば、多くの人は、自分や家族や愛する人たちの幸せを願い、その実現のためにそれなりにがんばっています。
それでも、思いがけない出来事が起きて、自分が或いは大切な家族や友人が、その1匹になったと感じてしまうことがあります。
その時、この羊飼いの行動は、また違って見えるのではないでしょうか。

生命の重さに軽重はない、とはよく言われることです。
けれども、私達は1匹のために何かをすることを無駄だとか非合理的だと感じてしまうことはないでしょうか。
そして
「仕方ないよね」
と言いながら向こう側へ渡る橋を切り落としていないでしょうか。
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by treeintheheart | 2013-06-20 17:03 | 聖書から

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart