カテゴリ:思い出( 7 )

雲の上の友

高校の同窓会の案内状が来た。

はっとした。
13年前、当時の幹事だったKが「次期幹事を」と依頼の電話をかけてきたときのことが思い出された。恐怖にも似た、苦い冷たい塊が私の中からせめぎ合いながら昇り上がって来るようだった。

彼女の依頼を、私は即座に断った。深刻な体調不良を感じていたからでもあるが、私のような不器用で不出来な人間に連絡しなくても、優秀なのからユニークなのまで人材には事欠かないはずだった。
それで二人で思いつくかぎりの同級生をあげていきながら無責任&無節操な基準で「彼女なら適任だね」などと1時間あまりもおしゃべりしたのだった。
「ごめんね、お役にたてなくて」
「ううん、こんなにおしゃべり出来てよかったよ~。何か理由作らないと、なかなか話せないじゃん。やっぱり電話してよかった」

どこにでもある普通のやりとりで電話は終わった。

案の定その3ヶ月後に私は入院してしまった。一年後、退院してからも毎日のバタバタ騒ぎの中、私は激流に呑まれそうな気分で過ごしていた。
そんなある日、友人の一人から電話があった。
「Kが死んだよ。ショック過ぎるからJには知らせなかった。お通夜も告別式も終わった。皆きていて盛大だった」

私は呆然とするしかなかった。
私の中でKはこれから永遠に高校生でいなければならないような気がした。
次々と彼女の「台詞」が甦る。当時、彼女は発足したばかりの「ミュージカルなかよしともの会」のリーダーだった。文化祭で彼女が演じた「ハロー・ドゥーリー」は正に適役で、無知な私はオリジナルかと思ったほどだった。ピンク色の派手な衣裳をつけた彼女は言った。「ねえ見て見て、私が着るとてるてる坊主みたい」
彼女の声はすこしハスキーだった。お弁当はいつもおばあちゃんが作っていた。ランチタイムに後ろから時々悲鳴が聞こえた。「やだ、おばあちゃんたら、また胡瓜の油いためいれてるう~」「うああ…ねぇねぇ、普通お弁当に納豆っていれる?」

それだけの彼女ではないはずだった。卒業後数年して、彼女が某劇団の研究員になったこと、さらに最晩年の遠藤周作氏に可愛がられたこと等を風の便りできいていた。
実はあの電話の直後に招待状が来たトークショー(?)には行ってみた。小さな一人ミュージカルはよくまとまっていたし懐かしかったが、プロとしては声が良く出ていないような気がした。その後のトークタイムは、私には別世界だったので、ひたすらケーキを食べていた。…一言声をかけようかと思ったが人混みを掻き分けていくのは億劫だった。「まっいいや、次はTも誘おう」
けれども次は無いまま、私はTから彼女の死を知らされたのだった。「あの声は」と得心した。無理を押してのステージだったのかもしれない。


それから10年以上も、私は彼女の死因も何をしていたのかも知らないままだった。大学時代にはミュージカルをやるというので観に行ったけれど、ジャンジャンでのコンサートは、子供を主人の母に預けるなんて無理だったから、聴きにいくことはできないままになった。
高校時代、伝統ある演劇部に反旗を翻す形で発足した同好会は、文化祭での発表に漕ぎ着けるまでがまさに青春ドラマのようだったが、きっとあの勢いのまま人生を押し渡っていったのだろう。

昨年、私の父母が亡くなり、同時に一つの時代が私の中で終わった。様々な封印がとけて、私は懐かしい名前を検索した。
彼女のブログのプロフィールらしい痕跡が残っていた。彼女の声、特徴的な話し方が聞こえて来るようだった。経歴や上演作品を読みながら涙が馬鹿みたいに頬を流れた。
別のブログでは彼女の葬儀の前後のことが語られていた。「壮絶な闘病生活」と書いてあって、不謹慎かもしれないけれど、私はほっとした。妙なことに「自殺でなければいいが」とずっと思ってきたからだ。
彼女を知る人は百人が百人とも彼女を向日葵に例えるだろう。私もそう思う。でも、もうひとつ、彼女には妙に軽やかなところがあって、「ここから跳んだら本当に翔べそうな気がしたのよ~。」と例のドーリーの衣裳を着てパラソルをさし、何でもない瞬間に何かを越えて向こう側へ行ってしまいそうなヤツだったからだ。
…なんて書くと雲の上から抗議が来そうだ。幸い今日の雲は分厚くて、彼女を載せても持ちこたえられそうだし。
「何言ってるのよ?アンタこそ好き勝手書き散らしてるけど相当体重増えたでしょう?だいたいねぇ、アンタは昔から…」
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by treeintheheart | 2014-06-12 11:37 | 思い出

大昔、中世史が好きだったころ…(2012/12/11 01:26)

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高校生の時に欲しかった本を、「見つけたよ」と、けさ友人から電話があった。

『西洋紋章学大事典』…たしかそんな名前だったような(…?)B3判位の大きな本で、ヨーロッパの各王家、歴史上の有名人の紋章が何千と掲載されていたと思う。
西洋の紋章は日本の家紋と違って個人のもので、紋章を見ればその人のルーツがある程度わかる。その細かいルールや解説も丁寧で面白かった。

「よくそんなこと覚えていたなあ~」とびっくりする私。
市立図書館に二冊あって、貸出し可能だから借りて来る、という。と言われても、友人宅は我が家から50km以上離れているから、おいそれとは見に行けない。
急いで地元の図書館を検索してみたけれど案の定「該当なし」
いちおう23区なのに(T_T)
その後、友人からの続報で、古本ならAmazonで19000円のがあるらしい。当時は確か12000円だったけど。
うう…昔も今も高くて手が出ない(ノ△T)
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by treeintheheart | 2014-04-17 21:29 | 思い出

「詩とメルヘン」

40年くらい前に
『詩とメルヘン』
という雑誌がありました

創刊、編集していたのが、
先頃亡くなった
やなせたかしさんです


厚手のエンボス加工をした紙を用いた
B4版くらいの本は、
見開きにいっぱいに
描かれた絵と
詩または物語が綴られ
ページをめくるたびに
宝箱の蓋をあけるようでした。

子供だったので、あまり覚えていませんが、
司修、味戸ケイコ、
茨木のり子、寺山修司、
立原エリカ、きたのじゅんこ、
…等のお名前があったのを
覚えています。
多分、当時気鋭の詩人、
イラストレーター、または
無名の新人…
いずれにしても、
とても贅沢な本だった
のでしょうね。

数年後、本屋で見かけた時は、
版も小さくなり、
創刊の頃の輝きは
薄れていました。

あの雑誌、
どうなったんでしょう…
今も
続いているのでしょうか。
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by treeintheheart | 2013-10-21 10:30 | 思い出

十五夜お月さん

十五夜お月さん


   作詞:野口雨情
   作曲:本居長世


十五夜お月さん 御機嫌(ごきげん)さん
婆(ばあ)やは お暇(いとま) とりました

十五夜お月さん 妹(いもうと)は
田舎(いなか)へ貰(も)られて ゆきました

十五夜お月さん かかさんに
も一度わたしは 逢(あ)いたいな




私が幼い頃、亡き母がよく歌っていた童謡です。
今改めて歌詞をみると、なんて暗い歌でしょう。斜陽族の一家離散を連想してしまいます。
こんな歌を子守歌に歌われたら、怖くて眠れなくなりそうですね。


母は歌声の綺麗な人で、よく歌っていましたが、向き合って何かを歌ってもらった記憶は殆どありません。いつもご飯の支度をしながら歌う母の背中を、茶の間から眺めていたような気がします。

私は、寝付きの悪い子でしたが、母の歌ってくれた童謡は、冒頭に挙げたような暗い、悲しい感じの歌が多かったような気がします。


たとえば…




あした   


   作詞 清水 かつら
   作曲 弘田 龍太郎


おかあさま 
なかずにねんね いたしましょう
赤いお船で とうさまの
かえるあしたを たのしみに

おかあさま 
なかずにねんね いたしましょう
あしたの朝は 浜に出て
かえるお船を 待ちましょう

おかあさま 
なかずにねんね いたしましょう
赤いお船の おみやげは
あのとうさまの わらい顔
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by treeintheheart | 2013-09-19 21:51 | 思い出

コスモスのような女性…

…と、
昔 言われたことがあります。





…こらこら、
そこの
笑いを圧し殺しているキミ!
本当なんですって!


…まあ、笑いたくなる気持ちもわかります。
私だって、言われた時、びっくりしましたもの。


但し、言った相手は女性です。

中学生の時、クラスで一番頭がよくて、しっかりもので、多芸多才な子でした。

何しろ、オペレッタを作るかと思えば、学芸会の衣装なんて朝飯前、英語ペラペラ、バレー部のキャプテン…
そしてぞうさんのような目をしたホンワカした外見…

私が密かに憧れた彼女は、クラス一手厳しい辛口コメンテーターでもありました。

ある放課後、音楽室に何人かの女子で集まり、何故かその日は「花に例えたら」なんていう、大正時代の乙女のような話題になったのですが、彼女は次々に友人たちを喩えていき、私の番が来たとき、ちょっと考えてから
「そうね、アンタはコスモス」
と、つっけんどんに言いました。
「ええっ?」「なんで?なんで?」
と小さなドヨメキがおこり(そりゃそうだよね)、彼女は「ええうるさい」と言いたげに
「なよなよしていて頼りないから!」
と、キッパリ。
皆と一緒に笑いながら、私はやっぱり凹んでました。

中学生の頃、私はおとなしいけれど、気が弱いとは思われていなかったようです。でも、彼女は確かに私の弱さを言い当てたのでした。

歳を取ったせいでしょうか、最近、昔のことがやたらに思い出されます。
それでも、「彼女に会いたいか」と訊かれたら、私は躊躇してしまいそうです。


だって、私のなかの彼女は、永遠に13歳。
あのまま益々才長けていたら、それはそれでコワいし、二十歳をとうに過ぎて只の人だったら、それはそれで…

…ねえ?

「故郷は遠くにありて」と同様に、旧友も思い出の中でこそパワーをくれるのかもしれません。
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by treeintheheart | 2013-09-18 08:48 | 思い出

心の中に(2010/12/12 08:37)

「ユダヤ人は、誰でも心の中にテントを持っていて、必要とあれば何時でも何処でもそれを拡げることが出来るのだ。」

ヘンリ・ジェイムズだったか誰だったかの短編小説の中に、上のような一節がありました。
祖国を持たず世界をさすらうユダヤ人の知恵と哀しみと勁さが、この一文に込められています。

その状況は、現代の私たちにも少し似ているかもしれない…そう感じたのは、年末の大掃除に向けてたくさんの物を整理しなければ、と思ったからでしょうか。
あれも必要、これも要る…そうやって沢山のものを甲羅のように抱えている私たち…
癒されたい、と都会を自然をさまようけれど
心の中に小さなテントがあれば…ほら、ね。
あなたひとりで過ごすのもよし、友を招いてお茶をするもよし…


でも、ひとつ問題が…


そのテントは、何処にも売っていない
糸を紡いで織り上げて…
まずはそこから始めなくては。
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by treeintheheart | 2010-12-12 08:37 | 思い出

虫干し(2010/09/12 08:27)

昨日は虫干しをした。季節的にこの時期にやっていいものか知らないけど、もう3年くらいやってなかったのでとても気になっていたから…
着物を広げてみると、私には若すぎると思うものも半分くらい…当然だ、結婚するときに母が持たせてくれたものが殆どだもの。
「着物なんて要らないのに」「どうせ着ないわよ」って言ったのに母は…
結局袖を通してない着物こそないけれど、着込んだと言えるものはない。
でも今では時々母の着物をねだってみる。
「私の卒業式に着た着物もう着ないよね?」
なんて…着物自体というよりも思い出を守りたくて。私の手元に直さなければ着られない着物が増えて行く。
今、物珍しそうに手伝ってくれている娘もいつか「あの時の着物譲って」と来てくれるかしら
…そんなことを願いながらゆったりと時間が流れる午後。


…を過ごしていたら8時になっても片付かず、夕食は宅配寿司f^_^;家族のヒンシュクをかいつつ、最後は桐箱に放り込み状態になりました(≧ヘ≦)
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by treeintheheart | 2010-09-12 08:27 | 思い出