カテゴリ:考えていたこと( 21 )

天空の時計

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メッセージをありがとうございました。
苦しい日々、ふと私の古い日記を思い出し、アクセスしてくださったことに胸がつまるような切なさと懐かしさを感じずにいられません。
あの小さなSNSがなくなってから、もう5年も経つのですね。

それでも、あの時書いた私の拙い文章が、少しでも貴方の心に響くものをもっていたのなら、それまで私が過ごした日々も強ち無駄ではなかったのでしょう。

私も貴方と同じように家族から罵られる毎日です。
「毎日毎日みんなに迷惑をかけて、よく生きていられるな」
「早く死んでくれよ、早く!」
「おまえさえいなければ家族みんなが幸せになれるんだ」
夫を知る人にはとても信じられないと思いますが、ある種の発作を起こしたように顔を赤くして怒鳴り続けます。罵声とともにオムツやティッシュボックスが飛んで来ることもあります。強気の言葉で言い返してはいても私の心は萎え、あなたと同じように
「こんな状態になってまで、何故まだ生きているのか」
「何の意味があるのか」
と問いかける毎日です。

そうですね。私の詩も短歌も、空を詠ったものが多いかもしれません。
でも現実は、私の部屋からは空と呼べるほどのものは見えません。周囲の家の屋根に切り取られたただの刻々と色が変わる小さなモニター画面のようです。それでもそれを見ると、日毎の匂いや季節の移ろいを感じ取ることはできます。そして、その小さな小さな窓を通して、私は地平線まで張り渡されたドームのような青空や、燃え崩れ墜ちていく太陽を抱えた夕空や、数知れぬ星々を刺繍した帳(とばり)を幾重にも垂らしたような夜空を懐かしむのです。そういう時、私は自分が宇宙と繋がっているのだと思わずにはいられません。


もう久しく視てはいませんが、満天の星のもとに私達は立っています。昼も夜も。ただ昼は見えないだけ。そして、彼方から視れば、私達の立つ汚泥の塊も、愛らしい光を放つ小さな星です。たとえ星は自らの放つ光を知らず、自らを星だと思わなくても、です。
貴方も私も、この巨大な天空の時計の小さな部品です。目につかぬ小さなネジか歯車か…でもそんなもの一つでも、時を待たずに失えばこの時計は狂うでしょう。
だから、もう少し…私は立ち続けましょう。

よろしければ手を繋ぎ、あなたも…

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by treeintheheart | 2017-03-21 07:57 | 考えていたこと

贈り物(20120312)

一週間以上前になりますが
夢を見ました


巨大地震が来て津波が東京湾から川をさかのぼってくる。夫は私を連れて一緒に逃げようとする。でも私は走れない。いつの間に水が押し寄せたのか私達は家具や雑多なものと共に流されている。手が離れる。これは夢だ。それでも私は叫ぶ。
私はいいから。先に逃げて。子供たちに伝えて。私が愛していたと。これからもずっと愛していると。

そこで目が覚めました。



笑っちゃう…まるで安手のドラマみたい。夢だと判っていながらあんなことを言うなんて。このところ地震が多いし、先だって息子が「いざというときのために車椅子を用意しとかないと、お母さん走れないだろ」なんて、珍しく殊勝なことを言うから…

それから私は気づきました。
これは、答えなのだ。十年間抱き続けてきた問いへの答え。


十年前、私は緊急入院し、一年間子供たちと離れ入院生活を送りました。その時の私の肝細胞を見たお医者様は、「この人この肝臓でまだ生きてるんだよ」とおっしゃったそうです。
知らぬ間に死と隣り合わせしていた。辛いとは言え普通に日常生活を送っていたのに。

病院のベッドの上で、私は考えました。
このまま死ぬとしたら、私は子供たちに何を残してあげられるのだろう。
所謂「背中を見て」もらうことはもうできない。こんなことなら仕事を辞めて家中をもっとピカピカに磨き、毎日笑顔で帰宅を迎えてあげていればよかった。もっと一緒にお菓子を作りたかった、アンサンブルしたかった、鬼ごっこしたかった…
上の娘は中学に入ったばかり。これからは悩むことも多いだろうに、きっと表に出さないだろう。夫や義母は気づいてくれるだろうか。
二番目は、昨年から急に変わってしまった。変わり者と評判の先生のクラスになってから。「裁判」に掛けられたこともあったらしい。「みんなだよ」と言っていたけれど。
下の子は入学したばかり。私のことも忘れてしまうだろう。いや抱かれなかった記憶は残るのだろうか。ごめんね、抱っこして自転車に乗せてあげることが随分前から出来なくなって。よじ登るの大変だったね。
想いは様々に駆け巡りましたが、自分が何を残してあげられるのかは思いつきませんでした。

何もしてあげられない

病室に道具一式を持ちこんで、次女のエプロンと息子のダンガリーシャツに名前を刺繍しながら、私は考え続けました。

「愛してる」なんて抽象的な言葉じゃなくて、教訓めいた話でもなくて、でも、これから生きていく上で想像もしなかった困難に出会った時に、其処に帰って来られるような、私の代わりに支えてくれるような、強い言霊を秘めた言葉…
私自身、たくさんの言葉に支えられてきたけれど、どれもそれを言われた時の状況や言ってくださった方の思い出が伴ってこそ光を帯びるものでした。


そうこうするうちに私は何とか退院しました。何もしてあげられない状況は変わらないのに、復帰してしまったポジション。想いは困難な日常の中で付箋をつけて机上に置いたまま。「言霊」も「背中」もどこへやら
反抗期の子供たちと売り言葉に買い言葉、思うようにならない身体に息子を連れて夜の川を見つめること数回、泣きながらの平手打ちなんて何の効果もない「最終兵器」だと発見。

そんな十年間の中で、私は感じてきました。
人を愛することは必ずしも笑顔や美しいものとは結び付かない。怒りも悲しみも呑み込む貪欲さ。岩壁のように厳しく荒削りで人を追い詰める。けれども、それは全ての価値基準や知恵や良識を覆す。だから、私は夢の中で「これからもずっと」と言ったのでしょう。
子供たちがこれから先何をするか、どんな大人になるか、夢の中では死ぬ設定になっているらしい(!)私には確かめる術はない。けれども、何か起こる前から全てを赦し、ありのままのあなたを受け入れるということ、それが私が子供たちに伝えたい言葉なのだ、と。


こんなふうに言うと、とても大袈裟ですが、当たり前のことなのかもしれません。
例えば「それでも愛してる」と思った時、多くの人が無意識に何かを飛び越えて向こうの世界を垣間見る…そういう小さな経験の輪繋ぎのようなものなのかもしれません。
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by treeintheheart | 2014-03-05 21:18 | 考えていたこと

被災地を旅する友へ

随分ご無理をして行かれたようですが、体調いかがでしょうか。

確かに、其処に行かなければ、住まわなければ判らないことは沢山あると思います。ただ、今から其処で暮らしたところで、「あの日居なかった」ということになるでしょうし、むしろ外からしか見えないものを確り見据えることしか出来ないのだ、と納得することも大切だと思います。

「なぜこの土地を離れないのか」と質問なさったのですか。らしくないというか、らしいと言うべきか…
相手の方が穏やかな方で幸運でしたね。


原発の影響そのものについては地震直後から考えて来ました。
その頃どこかで書いた通り、これから障害を持った子供が生まれる可能性も高いし、それは外で遊ばせないとか、他所のお宅で出されたものを食べないとか、そんな方法で解決出きるものではないと思います。
寧ろ人と人とを分断し、自分だけが助かれば良いという思考パターンを育てるという意味ではマイナスとしか思えません。

その一方で「東北をサポートしよう」という美辞麗句が踊っている。「絆」なんてキャッチフレーズは一種の狡猾さを感じる、と言ったら言い過ぎでしょうか?
確かに、被災地では多くの人が非日常的な、奇跡のような体験をしたに違いない。
けれども、それは特殊な条件のもとで人間の奥深いところから発露されたもので、日常の中に常在させるには無理があるような気がします。
結局、似て非なる安っぽい「絆」が横行し、本当に「繋がった」瞬間を、其所から私たちが汲み上げなければならないものを埋もれさせてしまう。それでなくとも疲弊した被災地の人々の身体を思考を縛り付け、救われる道を閉ざしていないか、と…これは私の想像に過ぎませんが、漠然とした不安を感じるのです。


「被災地の救済」を考えるとき、その土地を救うのか、人を救うのか、は、本来切り離して考えるべきものではないでしょうか。
三宅島や雲仙普賢岳の災害では、側から見ている第三者の殆どが「住民は避難すべき」と考えました。けれども、東北の被災地域の住民に対して、そのような声は薄い。
その理由として、放射能被害の多くが可視的でなく、数値の検証も難しいこともある。
また、被害者の数、被害額、被災した土地、いずれもこれ迄にない規模で受け皿が準備できないという問題もあり得る。
さらに、国策として推進してきた原子力のマイナス面を体現する人とモノが、野放図に拡散していくことは権力を握っている側にとっては得策ではないのかもしれません。

また、イメージ的な問題もあります。幸か不幸か、東北地方は言わば「日本人の心のふるさと」であり、素朴で温かくて今は失われた貴重なものが残っている土地とされてきました。この土地と人を切り離してしまうことは、個々の心のレベルでも多少の抵抗がある人は多い。それが無言の圧力になって最初から検討すらされない事が多々あるとすれば、悪意ではないだけに改めることは難しいでしょう。さらに、イメージが壊れ商業的価値が半減してしまうというのは、私たちの想像以上に重要な要素なのかもしれません。

いずれにしても、様々な悪条件がかたく結びついた結果、被災者も被災地も共に生まれ変わることができずにいる、そんな気がしてならないのですが、現場を見たこともない人間の、ただのセンチメンタリスムの産物かもしれません。

「○○○は元気です」
「私達は此処でちゃんと生きているんです」
「見に来てください。そしてお金を落としていってください」
日本中が元気がないときに、彼等の必死の「元気」がどこまで受け止めてもらえるのか、そしてその何割が彼等の元に投げ返してもらえるのか…考えると胸が痛くなります。
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by treeintheheart | 2013-12-17 10:05 | 考えていたこと

病者の祈り

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ニューヨークにあるリハビリテーション研究所の壁に、一人の患者が書いた「病者の祈り」という詩が書かれています。


 大事をなそうとして
 力を与えて欲しいと神に求めたのに

 慎み深く従順であるようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるように
 健康を求めたのに

 より良きことができるようにと
 病弱が与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに

 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして
 権力を求めたのに

 神の前にひざまずくようにと
 弱さを授かった

 人生を享受しようと
 あらゆるものを求めたのに

 あらゆることを喜べるようにと
 生命を授かった

 求めたものは
 一つとして与えられなかったが

 願いはすべて聞き届けられた

 神の意にそわぬ者であるにかかわらず

 心の中のいい表せない祈りは
 すべてかなえられた

 私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かに祝福されたのだ




誰とも知らないけれど、同じような荷を背負い、同じように探し求めた人がいる。
それは当たり前のことだけど、こうして具体的な姿を取って現れると、たじろぐものがあります。


これが唯一の答えとは思わないけれど、この言葉をつむぐまてには、いえ、紡ぎ出した後も、どれほど眠れぬ夜を過ごしたのだろう。


それにしても、いつも、なんとタイムリーに立ち現れることか。
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by treeintheheart | 2013-11-22 12:20 | 考えていたこと

「愛について」

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イングランドのサッカーチーム【リヴァプールLiverpool】の応援歌として有名で、最近では東京FCの応援でも歌われる"You'll Never Walk Alone"の全歌詞を知りたくて検索していたら、次のような言葉まで引っかかって来ました。

結婚式等でよく引用される愛について書かれた新約聖書の言葉ですが、一方で、故ダイアナ妃の葬儀でも引用されたそうです。



Love is patient,
love is kind.
It does not envy,
it does not boast,
it is not proud.
It is not rude,
it is not self-seeking,
it is not easily angered,
it keeps no record of wrongs.
Love does not delight in evil
but rejoices with the truth.
[I Corinthians 13:4-6]


愛は寛容であり、
愛は親切です。
愛はねたまず
愛は奢らず、
愛は高ぶらず。
礼節を知り、
自分の利益を求めず
滅多に苛立たず
人のした悪を思わず
不正を喜ばずに
真理を喜びます。


この言葉をそのまま実行しようと思ったら、とてもとても大変そうですね。

私は中学生の時、この文章(聖句というのですが)を知って、読んだ瞬間、嫌いになりました。

だって!
この文章を書いた聖パウロによれば、
「愛とは、辛いことを耐え、
自分がやりたいこと
を我慢すること」
に尽きるようです。

「そんなふうに自分をいい子に仕立てて、心を偽っても、それは本当の愛情じゃない。
本当の愛なら、自然のままに内側から溢れでて来るものじゃないの?
自分を見失ってまで愛を手に入れたくない」
などなど生意気なことをたくさん考えました。

今はもう、そんなふうには考えませんが(笑)


愛という言葉を「あの人は」と置き換えてみてください。
親切で辛抱強く、穏やかでありながら正義感のある人…
確かに、そういう人に傍にいてもらえたら安心だろうな。
中でも、「人のした悪を思わず」という個所です。失言、失敗の多い私にはありがたいです。
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by treeintheheart | 2013-11-14 06:55 | 考えていたこと

ストーカー殺人事件に

三鷹で起きたストーカー殺人に震えるような怒りを覚えます。
犯人は生命を奪っただけでなく、大量のプライベートな映像を投稿することで、被害者とその家族の尊厳を永久に奪いました。

さらに問題を深刻にしているのは、その動画にアクセスする人々です。削除しても削除してもきりがないのは、低劣な好奇心に突き動かされるままに無責任な行動をとる人が数多いるからでしょう。彼等の存在が無ければ、犯人は復讐の手段として画像を投稿することを選らばなかったはずです。
つまり、私達の行動によっては、犯人の意図を扶けることになるのです。


「そういう映像を撮ること自体いかがなものか」
と被害者の非を指摘しようとする方も在るかと思います。
勿論、道徳観、倫理観は様々あって当然です。私自身もそのような映像が存在することを「当然」とは思えません。
けれども、それは最もプライベートな場面での行動であって、公に非難されるべき種類のものではないはずです。
どんな高潔な、謹厳な人でも、最もプライベートな時間まで全てを曝して汚点ひとつ無い、と言える人は居ないでしょう。また、居たらいたで、別の意味で問題があると思いますし。
まして、彼女は充溢する力とそれをコントロール出来ない未熟さを併せ持つ、人生で最も煌めく時期にいたのです。誰もが振り返って、眩しさに目を細め、微苦笑を禁じ得ない時期に。

そして、一つだけ確実なのは、その映像が撮られた時、彼女は犯人に心を開いていた、信頼していた、ということです。信じるに足りない利己的な男を!それだけに二重に痛ましく思うのです。

映像の日々から、別れ、ストーカー化し、殺人に至るまでには、当然ながら色々な紆余曲折があり、犯人にも言い分があるでしょう。「新事実」が新たになり彼に有利な事実も発見されるのかも知れません。

けれども、彼がプライベートな映像を流した行為がそれで消えるわけではありません。彼は自分の犯した罪の重さを心底から思い知るべきです。彼のような男にそれが出来るか、甚だ疑問ですが。
彼は、既に遠い存在となりつつあった彼女を、最も卑怯な愚劣な方法で、ネットの海へ押し出しました。奇跡が起きて、彼が心から罪を悔いたとしても、彼女の映像は、今度こそ永久に手の届かない存在となって、ネットの海を漂い続けるのです。
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by treeintheheart | 2013-10-15 13:57 | 考えていたこと

答え (2011/09/17 12:31)

学生のときに先生がある女性の話をなさいました。

「その方は優秀で優しい看護師で、お医者さまを扶けて多くの患者さんを救い、沢山の人から感謝されました。やがて看護師長となり、直接患者さんと関わることは少なくなりましたが、多くの後輩、部下を指導し、尊敬を集め、憧れの的でした。歳をとり、引退なさってからは、今や看護師長となった後輩達が相談にきたり、講演会等で経験を話したりして看護の質の向上に、勤めました。彼女が名前も、その存在さえ知らない人が、彼女の著書や講演によって励まされ力付けられました。

しかし、忙し過ぎる生活が祟ったのか彼女は突然倒れ意識不明になりました。今まで彼女が救ってきた多くの方が手を尽くしたかいあって、まもなく彼女は昏睡状態から醒めましたが、残念なことに、もはや口を利くことも手足を動かすこともできませんでした。その状態が長く続きやがて静かに息をひきとりましたが、この時期、彼女は最も役に立つ働きをしたのです。彼女の存在そのものが救いでした。
なぜだかわかりますか?
皆さんにはまだわからないと思います。でも、どうかこのお話を覚えておいてください。そして考え続けてください。」

今、古いノートはあるものの、なぜこんなに鮮明に覚えているのでしょう。生意気な学生でしたし、いかにも作り話めいて反発を覚えたことまで甦ります。その時全く答えが思い付かなかったのが悔しかったからでしょうか。後々この問い掛けが必要になると予感したからでしょうか。

ここ十年このお話のことを考えています。まだ答えは見つかりません。いいえ軽々に答えと思ってはいけないのだと思うようになりました。

私の他にもこのお話を必要とされている方がいるような気がして載せてみました。
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by treeintheheart | 2013-09-25 16:22 | 考えていたこと

信じるということ②〜思春期の親子〜(2011/01/12)

「信じる」ことは時に論理に裏付けられたものを越える時があるように感じます。
特に私が感じるのは、思春期の親子関係で、親はある年頃から子供のことがさっぱり解らなくなったりします。
身体ばかり大きくなって、理屈にならない理屈を振り回して、こちらが根負けしてちょっと気を抜くと、子供は、まるで解き放たれた犬か凧糸切れた凧みたいに走り去って行く、遠くへ、遠くへ…
親はそれをハラハラしながら見ている。もはや呼び声も聞こえない。時には悪い情報も入るかもしれない。

…そんなとき多くの親がつぶやきます。
「ウチの子に限って…」
いいえ、そんなことありません、「ウチの子」だって何処の子だって「やるときはやる」、そういうモンです。
…人間だもの。
だけど親は慌てます、
「なぜだろう、私の育て方が悪かったのだろうか」
「愛情が足りなかっのだろうか」
「SOSを出していたのにサインを見落としたのだろうか」
…そう考え始めると、あれもこれもサインだったような…
一人で考えてると思考が堂々巡りを始め煮詰まってしまう…螺旋を描いて下へ下へ…
「このまま行ったらあの子はどうなってしまうのだろう」
この前見た週刊誌の見出し《少年Aの母の手記》なんていうのが頭の中をかすめたり…
そういう時、私は①で書いたように、我が子を信じよう、…と、私は思うことにしました。


昨日、彼は間違ったかもしれない。人間だから間違うことだってある、弱くて負けるときもある。でも、彼の中には、今まで語りかけてきた言葉、抱きしめた温もり、歌声、読んだ本、お風呂でのジェットコースターごっこ、ごはん…そういうものが混然一体となって土壌を作っている。種はもう蒔かれている。

だから、親ができることは、子供を信じること。子供が間違わないことではなく、彼の中に光を目指して芽生えるものがあることを。
人生のゴールは、20歳や30歳ではないし、勝ち負けなんて物差しで人に評価されるだけの人生なんて、つまらないよね、と心から言える母でありたいから。
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by treeintheheart | 2013-08-07 20:53 | 考えていたこと

信じるということ①(2011/01/11)

平凡な毎日を過ごすなかで、私達は常に何かを信じながら行動している。天気予報を信じ、電車の正確な運転を信じ、ショップのスタッフを信じ、円を信じ銀行を信じ…という具合である。

意識的であれ無意識にであれ、表面的な特徴や既存の常識に沿って「信じるべきか否か」を判断し振り分けた上で行動し思考する。これで大抵のことはクリアできる。
付け加えるとすれば、アンテナの感度を上げたりスキルを磨く努力によって成功はより確実になる。以前書いたpositive thinking の出番でもある。


ところが、人生にはそれだけでは越えられない壁にぶつかる時がある。
今まで信じてきたものが全て、音を立てて崩れていく一方で、逆に、今まで無縁だったもの、否定的に捉えてきたものと向き合うことを余儀なくされる…そういう時に、私達は、もう一度
「『信じる』とはどういうことだったのか」
と考えざるをえなくなる。少なくとも私はそうだった。


少し極端だが、相手が敵対するグループであれ凶悪犯であれ、人間(特に信じがたいもの)を信じる、とは、
「そのものの本質が善へ向かう力があると信じること」
だと私は思う。
それは個体の意識的なものでなく、人間の奥深くに組み込まれたシステムのようなもの…私はいつも「向光性」という言葉を連想する。理科の実験で光に向かって植物が伸びる、あの性質のことだ。

人間が現実の中でフジツボみたいなものにびっしりと被われていても、その本質は担保されていて人の深いところに潜んでいるだけなのではないだろうか…
「つまり性善説とか予定調和ということだろう」と言われたら私は首を横に振るだろうが、それらとはどうちがうのか上手く説明出来ない。
最も近いのは、辻邦生著「春の戴冠」の中にある。「春」「ヴィーナスの誕生」を描いたボッティチェリの絵が、陰影でなく非現実的な、くっきりとした線描で描かれた理由について、
「本来の唯一本の線を見出してそれをなぞるのだ」
と言っているくだりだ。
だから、例えば、真面目とか優しいとか嘘をつかないといった様々な美徳は「信じる」ための要素なのだろうが、たとえ相手がそうでないとしても、人は時にそれらの不在を超えて「信じる」のだ、と思う。

…と思う一方で、それを実行したら現実社会では生きていけないことも知っている。
だからといって、全て否定し、諦め、それを賢いと言明することも私の中の何かが受け付けない。

信じるに足るものを信じることは当たり前だ。フィルムを逆送りして観るように、先ず「信じる」ことで本来の姿が立ち顕れることもあるのではないか。

愚かで夢想にすぎない考えかもしれないけれど、信じるとは、硬く土に被われた遺跡のレリーフを復元させるように本来の姿を見出だすことだと思う。
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by treeintheheart | 2013-08-07 17:25 | 考えていたこと

母親にしかできないこと(2011/05/07 22:13)

母親にしか
出来ないことって
何だろう?

…と、母親失格の私は、
ちょくちょく考えてしまう。


料理をはじめ家事のほとんどは
母親じゃなくても
やっている人は大勢いる。
母親より美味しい料理を
作るおばあちゃんなんて
山ほどいるだろう。

買い物をし
料理、洗濯して、
家族の健康に目配りしたり、
掃除して、
家の内外を快適に
居心地良く保つこと。
母親が上手にできること
かもしれないけれど、
母親じゃない人がしても
そんなに大した違いはない。

赤ちゃんを育てることさえ、
昔から母乳の代わりに
ミルクが使われてきたし、
胎内で育み、産むことでは、
代理出産というテがある
(法的な問題はともかく)。


文明の発達とともに、
母親の領域は
次第に狭まってきた
ような気がする。

子供のしつけや
教え諭すこと、
子供の話を聞いたり
気持ちを理解し
精神的に支えることは、
母親の大切な役目だと思う。

けれども、それは
食べさせたり着せたり…
今まで数え上げてきた
母親でなくともできる、
代替のきく仕事と
実は密接に結び付いている。

つまり、
いわゆる「母親らしいこと」
をせずに何を語っても
子供の心に響くとは
思えない。

そこを追究していくと、
色々ややこしい話に
なってしまうし、
「母親の役割なんて
理屈じゃないよ」
というのも同感だし、
いつもいつも
こんなことを思いながら
行動しているわけじゃない
けれど…
試行錯誤、七転八倒、
右往左往、臥薪嘗胆、
艱難辛苦しながら
毎日子育てしていると、
いくらがんばっても
びくともしない壁の前で
やはり色々、考えてしまう。

今、上手くいかないのは
私が
「母親ならしなくちゃいけないこと」
「母親にしかできないこと」を
気づかないまま
放置しているから
かもしれない…って。
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by treeintheheart | 2013-08-04 13:25 | 考えていたこと