カテゴリ:子供たちの記録( 12 )

バスクラリネット

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長女がついにバスクラリネットを買いました。
中学、高校時代と吹奏楽部でサックス、クラリネットを吹いてきたのですが、その頃から買うとは言っていました。でも、まさか本当に買うなんて…
「だって高いし重いし、脚広げて吹かなきゃいけないし…」
と、俗っぽい事ばかり考えてしまうワタクシです。

木管楽器が金管に比べて高価なのは、きっと材料となる木自体が貴重だからなのでしょう。普通のクラリネットで30万円位、バスクラリネットは大きいだけに150万円位かかると見積もっておかなければなりません。予算が合っても肝腎の楽器との相性が合わないこともあるのでしょうね、素人なのでよくわかりませんが。それに、小物ひとつで音も随分変わるようです。

昨夜10時を回った頃、寒風吹きすさぶ中駅から自転車をこいで帰って来た長女は、疲れきった様子でしたが、背中にランドセルのようにバスクラを背負っているせいかすっかり子供じみて見えました。
「私いま、すっごいテンション上がってるの~♪」
普段は年齢以上に落ち着いて見られるタイプです。
「生まれてから一番(テンション)高いかも~♪」
(≧∇≦)\(-_-)ヨシヨシ
「今なら回れるぅ~♪回っちゃおうかしら~」
ボン・クレーか(-"-;)
「どうしてこーゆー時に○○ちゃん(←妹)いないの~(ρ_;)」
…と、ひとしきりはしゃいだ後。漸くケースを開けてくれました。
真新しいバスクラは、何だか本当に輝いて見えました。これから数ヵ月かけてじっくり馴らしていくようです。
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by treeintheheart | 2014-03-10 10:32 | 子供たちの記録

贈り物(20120312)

一週間以上前になりますが
夢を見ました


巨大地震が来て津波が東京湾から川をさかのぼってくる。夫は私を連れて一緒に逃げようとする。でも私は走れない。いつの間に水が押し寄せたのか私達は家具や雑多なものと共に流されている。手が離れる。これは夢だ。それでも私は叫ぶ。
私はいいから。先に逃げて。子供たちに伝えて。私が愛していたと。これからもずっと愛していると。

そこで目が覚めました。



笑っちゃう…まるで安手のドラマみたい。夢だと判っていながらあんなことを言うなんて。このところ地震が多いし、先だって息子が「いざというときのために車椅子を用意しとかないと、お母さん走れないだろ」なんて、珍しく殊勝なことを言うから…

それから私は気づきました。
これは、答えなのだ。十年間抱き続けてきた問いへの答え。


十年前、私は緊急入院し、一年間子供たちと離れ入院生活を送りました。その時の私の肝細胞を見たお医者様は、「この人この肝臓でまだ生きてるんだよ」とおっしゃったそうです。
知らぬ間に死と隣り合わせしていた。辛いとは言え普通に日常生活を送っていたのに。

病院のベッドの上で、私は考えました。
このまま死ぬとしたら、私は子供たちに何を残してあげられるのだろう。
所謂「背中を見て」もらうことはもうできない。こんなことなら仕事を辞めて家中をもっとピカピカに磨き、毎日笑顔で帰宅を迎えてあげていればよかった。もっと一緒にお菓子を作りたかった、アンサンブルしたかった、鬼ごっこしたかった…
上の娘は中学に入ったばかり。これからは悩むことも多いだろうに、きっと表に出さないだろう。夫や義母は気づいてくれるだろうか。
二番目は、昨年から急に変わってしまった。変わり者と評判の先生のクラスになってから。「裁判」に掛けられたこともあったらしい。「みんなだよ」と言っていたけれど。
下の子は入学したばかり。私のことも忘れてしまうだろう。いや抱かれなかった記憶は残るのだろうか。ごめんね、抱っこして自転車に乗せてあげることが随分前から出来なくなって。よじ登るの大変だったね。
想いは様々に駆け巡りましたが、自分が何を残してあげられるのかは思いつきませんでした。

何もしてあげられない

病室に道具一式を持ちこんで、次女のエプロンと息子のダンガリーシャツに名前を刺繍しながら、私は考え続けました。

「愛してる」なんて抽象的な言葉じゃなくて、教訓めいた話でもなくて、でも、これから生きていく上で想像もしなかった困難に出会った時に、其処に帰って来られるような、私の代わりに支えてくれるような、強い言霊を秘めた言葉…
私自身、たくさんの言葉に支えられてきたけれど、どれもそれを言われた時の状況や言ってくださった方の思い出が伴ってこそ光を帯びるものでした。


そうこうするうちに私は何とか退院しました。何もしてあげられない状況は変わらないのに、復帰してしまったポジション。想いは困難な日常の中で付箋をつけて机上に置いたまま。「言霊」も「背中」もどこへやら
反抗期の子供たちと売り言葉に買い言葉、思うようにならない身体に息子を連れて夜の川を見つめること数回、泣きながらの平手打ちなんて何の効果もない「最終兵器」だと発見。

そんな十年間の中で、私は感じてきました。
人を愛することは必ずしも笑顔や美しいものとは結び付かない。怒りも悲しみも呑み込む貪欲さ。岩壁のように厳しく荒削りで人を追い詰める。けれども、それは全ての価値基準や知恵や良識を覆す。だから、私は夢の中で「これからもずっと」と言ったのでしょう。
子供たちがこれから先何をするか、どんな大人になるか、夢の中では死ぬ設定になっているらしい(!)私には確かめる術はない。けれども、何か起こる前から全てを赦し、ありのままのあなたを受け入れるということ、それが私が子供たちに伝えたい言葉なのだ、と。


こんなふうに言うと、とても大袈裟ですが、当たり前のことなのかもしれません。
例えば「それでも愛してる」と思った時、多くの人が無意識に何かを飛び越えて向こうの世界を垣間見る…そういう小さな経験の輪繋ぎのようなものなのかもしれません。
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by treeintheheart | 2014-03-05 21:18 | 子供たちの記録
引っ込み思案の私と違って、息子の友達の多さは呆れるくらいだ。それも種々雑多で、開成、早稲田を蹴って某高校に進学した子と関ヶ原の陣立てについてしゃべっているかと思えば、おじいちゃんがヤ〇〇さんだという不登校の子と夜中にサッカーをしていたりする。
息子の周りは何故かいつも女の子がわさわさしている。中学からの付き合いの子が多いが、高校に入って知り合った子も、彼女も元カノも混じって一緒におしゃべりしていたりする。(しかも皆可愛い!)ちなみに息子は決してイケメンじゃなく生徒会長でも秀才でもなく、むしろ今、思いっきり人生の彷徨い人をしている。
高校に入ってしばらくは女の子二人がお弁当を作ってくれていて、私のお弁当は他の子が食べていたりした。息子が学校を変わった後も彼女達との関係は続いていて、つい先日も女の子が二人やってきて晩御飯を食べていった。
我が家は女ばかりだから息子も女子と話すことに何の抵抗も緊張もないのかな。なんだかわからないけど、いつもいい雰囲気で私ともおしゃべりしたりメアド交換したり…もっとも誕生日とかクリスマスのご挨拶メールが殆どだけれど。

実を言うと、彼女達はそれぞれ「事情」を抱えている。お兄ちゃんが家出してしまった子、家庭内暴力を受けている子、リストカットを繰り返している子…そういう子達が息子の周りに集まるのには、それなりの理由があるのだろう…
人に厳しく自分に甘いと、家族には評判のわるい息子だが、外では別の顔を持っているのだ、と改めて思う。
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by treeintheheart | 2013-10-09 16:09 | 子供たちの記録

片思い (2011/05/14 07:53)

息子が中学3年生の時、
息子の友達と電話で話していて
言ったことがある。
「親は いつでも子供に片思いね」

すると彼女は言った。
「子供だって親に片思いですよ」

たったその一言なのに、
私の中で 何かがほどけた。

ああ…そうだよね
と思った。

何が「そうだよね」なのか
実は私にも説明できない。

息子が、本当はが私に
理解してもらいたいのだ、とか、そういうことではない。

その後、急に事態が好転した
わけでもない。


けれども何かの折に
彼女の言葉を思い出すと
一呼吸おくことができる
…時がある。
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by treeintheheart | 2013-10-09 06:17 | 子供たちの記録
先日23日は、次女の部活の地区大会だった。
残念ながら成績は振るわず、次女のペアが一番よくて二位だったものの、昨年一位だった部長も同率三に終わってしまった。
それでも「よくやったね」と、私はその言葉しか出てこない。

新入生で次女が入部した時、一年生はわずか女子3人、四年生1人。3人と言っても、1人は家庭の事で練習日の半分も出席出来ず、最終的に退部した。残る1人は記憶障害があるのか、連絡事項も練習手順も大会申し込みも忘れてしまうという。結局全ての雑事は次女の肩にのしかかることになった。
OBが頻繁に顔を出してくれると言っても、所詮はOBで、手を出せることに限界がある。
予算をとるための会議、OB達への寄付のお願い、施設を借りるための手続き等、全て次女が独りでやらなければならなかった。

中学生の時、苛めにあっていたのか、クラスの誰とも口を利かなかった。
高校生になってからも電話が怖くて取れなかった。
通学の満員電車は人に譲ってしまっていつまでも乗れなかった。
そんな次女が、人が変わったように積極的に人と拘わるようになり、寸暇を惜しんで部のために働いた。

思いがけない出来事もあり、部活を辞めるように周囲が忠告したこともあったが、彼女は受け入れなかった。
「私は、この部活に入ってはじめて『ああ、私だって頑張れるんだ』って思えたの」
彼女は小さい頃から器用で、特に努力しなくてもソコソコ何でも出来た。小学生の時は作曲コンクール、作文、読書感想文、ポスター、工作…色々賞をもらってきた。だからそれ以上を目指す努力をしなかった。だから、どれも中途半端。そういう自分が嫌だった。
でも、はじめて努力した、頑張りが手応えになってかえってきた。

…と、次女の話に延々付き合わされた。

「子供の成長に成功体験が必要」とはよく聞くが、『目の前に事例がタグ下げて座ってる…』と、私は心の中で呟いた。何だか照れ臭くなってしまったのだ。その一方で、頭をくしゃくしゃに撫でてあげたい気もした。

「ウチの部員、今年は二列に並んだの」
と嬉しそうに言う。
「だって一年生の時は、三人しかいないから他の学校と一緒に並んだんだよ」


いつか、壁にぶつかった時、この思い出が彼女を支えてくれますように
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by treeintheheart | 2013-09-27 10:10 | 子供たちの記録
「信じる」ことは時に論理に裏付けられたものを越える時があるように感じます。
特に私が感じるのは、思春期の親子関係で、親はある年頃から子供のことがさっぱり解らなくなったりします。
身体ばかり大きくなって、理屈にならない理屈を振り回して、こちらが根負けしてちょっと気を抜くと、子供は、まるで解き放たれた犬か凧糸切れた凧みたいに走り去って行く、遠くへ、遠くへ…
親はそれをハラハラしながら見ている。もはや呼び声も聞こえない。時には悪い情報も入るかもしれない。

…そんなとき多くの親がつぶやきます。
「ウチの子に限って…」
いいえ、そんなことありません、「ウチの子」だって何処の子だって「やるときはやる」、そういうモンです。
…人間だもの。
だけど親は慌てます、
「なぜだろう、私の育て方が悪かったのだろうか」
「愛情が足りなかっのだろうか」
「SOSを出していたのにサインを見落としたのだろうか」
…そう考え始めると、あれもこれもサインだったような…
一人で考えてると思考が堂々巡りを始め煮詰まってしまう…螺旋を描いて下へ下へ…
「このまま行ったらあの子はどうなってしまうのだろう」
この前見た週刊誌の見出し《少年Aの母の手記》なんていうのが頭の中をかすめたり…
そういう時、私は①で書いたように、我が子を信じよう、…と、私は思うことにしました。


昨日、彼は間違ったかもしれない。人間だから間違うことだってある、弱くて負けるときもある。でも、彼の中には、今まで語りかけてきた言葉、抱きしめた温もり、歌声、読んだ本、お風呂でのジェットコースターごっこ、ごはん…そういうものが混然一体となって土壌を作っている。種はもう蒔かれている。

だから、親ができることは、子供を信じること。子供が間違わないことではなく、彼の中に光を目指して芽生えるものがあることを。
人生のゴールは、20歳や30歳ではないし、勝ち負けなんて物差しで人に評価されるだけの人生なんて、つまらないよね、と心から言える母でありたいから。
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by treeintheheart | 2013-08-07 20:53 | 子供たちの記録
母親にしか
出来ないことって
何だろう?

…と、母親失格の私は、
ちょくちょく考えてしまう。


料理をはじめ家事のほとんどは
母親じゃなくても
やっている人は大勢いる。
母親より美味しい料理を
作るおばあちゃんなんて
山ほどいるだろう。

買い物をし
料理、洗濯して、
家族の健康に目配りしたり、
掃除して、
家の内外を快適に
居心地良く保つこと。
母親が上手にできること
かもしれないけれど、
母親じゃない人がしても
そんなに大した違いはない。

赤ちゃんを育てることさえ、
昔から母乳の代わりに
ミルクが使われてきたし、
胎内で育み、産むことでは、
代理出産というテがある
(法的な問題はともかく)。


文明の発達とともに、
母親の領域は
次第に狭まってきた
ような気がする。

子供のしつけや
教え諭すこと、
子供の話を聞いたり
気持ちを理解し
精神的に支えることは、
母親の大切な役目だと思う。

けれども、それは
食べさせたり着せたり…
今まで数え上げてきた
母親でなくともできる、
代替のきく仕事と
実は密接に結び付いている。

つまり、
いわゆる「母親らしいこと」
をせずに何を語っても
子供の心に響くとは
思えない。

そこを追究していくと、
色々ややこしい話に
なってしまうし、
「母親の役割なんて
理屈じゃないよ」
というのも同感だし、
いつもいつも
こんなことを思いながら
行動しているわけじゃない
けれど…
試行錯誤、七転八倒、
右往左往、臥薪嘗胆、
艱難辛苦しながら
毎日子育てしていると、
いくらがんばっても
びくともしない壁の前で
やはり色々、考えてしまう。

今、上手くいかないのは
私が
「母親ならしなくちゃいけないこと」
「母親にしかできないこと」を
気づかないまま
放置しているから
かもしれない…って。
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by treeintheheart | 2013-08-04 13:25 | 子供たちの記録
「花咲き山」「モチモチの木」「ちからたろう」等でおなじみの作者が秋田のあたたかく迫力ある言葉で語る、でっかい男の物語である。

八郎は樫の木のようにすいすい伸びて、筋肉はカンカン固くて、見てるものはホーイと笑って気持ちよくなってしまうような山男だ。それでも、もっともっと大きくなりたくて山から海へ向かって駆け降りてきては、海へ向かって
ウォーイ ウォーイ
と叫ぶ。その頭には色々な鳥が巣をかけて
ピチピチ、チイチイ、チュクチュク、カッコー
と囀っている。八郎も小鳥達を驚かさないように気遣かっていたりするのが微笑ましい。

そうやって呑気に暮らしている八郎だったが、ある日、男の子が浜辺で泣いているのに出会う。見るとが真っ暗になり白い歯を向いてやって来るのだ。

海岸に固まって震える村人達。泣き叫ぶ山。いつかみた木版画のような風景の中に八郎がやってくる。まるで、生きて、自由に動けるのは彼だけのように。

押し寄せる海に、岩を投じ、山を投じ、ついには自らの身を投じる八郎の叫びは、しかし天を貫くほど明るい。

「分かったァ!おらがなして今までおっきくおっきくなりたかったか!おらはこうしておっきくおっきくなって、こうしてみんなのためになりたかったなだ、んでねがわらしコ!」

八郎の頭を波が越え、髪の中の小鳥達が飛び立つ。それを見て、わらしコが手を叩いて喜ぶ。それに応えるかのように、八郎の沈んだ後の波上の泡がはじける。

語り部は、わらしコが八郎の後を継ぐ男になっていることを語って物語を終える。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


斎藤隆介に出てくるオトコ達は、「ちから太郎」に代表されるように、荒削りでパワフルで、大きな足で目標に向かってドスドス歩くと周り中のものが跡形もなく薙ぎ倒されてしまうようなイメージがある。
実際にそんなオトコがいたら堪ったものではないけれど、ただの傍迷惑野郎ではなく、彼らの多くはなぜか微かな悲劇の影を(というより「死にキャラ臭」を)漂わせている。
それは多分、彼らがあまりにもピュアだからだ。

彼らの欲望と言ったらほぼ食欲と「大きくなりたい」「強くなりたい」に限定されている。食欲は、生きるための必要最低限の欲求であるが、大きさ、強さをこれほどまでに求めるのはなぜだろう。
力太郎の場合は敢えて単純化しているから、主人公はただ楽しく大きく、強くなって行く。
けれども、八郎の場合は、主人公が自らの課題として意識し続ける。
八郎が、殆ど嬉々として津波に立ち向かって行くのは、自らの問いに対する答えを見いだしたからなのかもしれない。その喜びの前には死さえ軽やかな光を帯びるようだ。


私達は生きていく上で様々な欲求を持ち、それを叶えながら、あるいは諦めたり折り合いをつけたりしながら日々を過ごしている。

「お洒落をしたい」
「金持ちになりたい」
「地位や名誉を手に入れたい」
などという欲望が、八郎にそぐわないことは誰が見ても明らかだ。
しかし、八郎には
「友達がほしい」
「誰かに理解されたい」
「愛されたい」
という欲求すらないように思える。
こういった欲求は、多分誰もが持っていて、ある意味では「人間らしさ」の表明のようなものなのに、どことなく彼とは相容れない感じがする。
なぜだろう。
彼が「人間」ではないからだろうか。
彼の巨大さが、彼に疎外感をもたらしていたか否かはわからない。けれど、一人でいる彼の姿は「孤独」というより「自由」という言葉がふさわしい。(別に二者択一なわけではないけれど)
彼を見ていると「仲間が大切」「愛する人の為に〜」というテーマで動くヒーローたちが、何だか小さく感じられる。
なぜならば、それらは「友情」とか「愛」の字を纏ってはいるけれど、その根底には「自分を潤す」という動機があって、とことん無私な彼とは遠い存在になってしまわざるをえないのだ。
そんな気がした。

それと同時に、彼はもっと大きなモノに包まれていて、それを感じ取っているから、私たちが齷齪求める「愛」「友情」には目もくれないのだろう。それなのに、というより,だからこそ里に危機が迫ると、誰かをともなうこともなく、相談も、力を合わせることもなく、ただ一人で、いともあっさり生命を投げ出してしまうのだろう。
彼は村人達に
「勇気を出して一緒に立ち向かえ」
「自分達の村は自分達で守れ」
という要求はしなかった。
村人達が小さく、心配性で、来る日も来る日も大地の声を聴き、太陽や雨風から作物を守っていることを八郎は知っている。それが村人達の戦いであって、八郎には出来ないことだ。
村人達には、八郎が海に沈んだあと、潮をかぶった土地を一面の黄金色の稲穂の波に変えるための長い長い戦いがあり、それが八郎の戦いと等しく尊いものであることを、八郎は理解している。

生きることは自分というピースがピタリと収まる場所を見つけること。八郎にとってはそれだけのこと、なのかもしれない。
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by treeintheheart | 2013-07-18 18:20 | 子供たちの記録

分岐点(2010/10/12 18:40)

息子は小学校一年生からサッカーを始め、中学校でサッカー部に入るのをとても楽しみにしていました。あまりにも楽しみで、友達と何度も中学校のフェンスによじ登って練習を見ようとするので注意をされたくらいです。朝練もどんな雨の日も行きました。「サッカーは雨でも試合するんだから」と出て行き「誰も朝練来なかった」と帰ってきたこともあります。

その後、憧れの先輩が卒業し、先輩がいない新二年生と新顧問のサッカー部となりました。【ROOKIES卒業】(2010年10月11日の日記)に書いたような日々の始まりです。あの頃は本当につらかった。少しずつ駄目になっていく息子を見るのが。もがいて、仲間とも道が違っていって、いろんなことを諦めていくのが伝わってきました。あれこれ試したけど有効な手は打てませんでした。顧問がいる以上他の先生には手が出せないと学校からは言われました。
いくつかのリーグ戦には登録手続きさえしてもらえず、試合では前半好調でもハーフタイムに必ずと言っていいくらい志気が下がりました。練習不足が自信の無さにつながり先生の罵倒が追い討ちを掛けました。うつむき加減に黙々とボールを蹴る部員達にセットプレイのできるはずもなく、息子の声だけがやたらと大きく感じられる試合が続きました。
「個人技は上なのに攻撃が組み立てられないんだ。それにメンタルが弱い」
と分析好きな息子は言っていました。彼は父親に頼んで試合を撮影してもらい、その日のうちに必ず観ていました。
それでも彼は先生の悪口はいいませんでした。
親馬鹿なようですが、彼は感性が鋭いほうだと思います。痛みを避けるため、アンテナの感度を下げる知恵は彼にはなかった。彼が顧問の先生をいい人だと言い続けたのは、そうすることで何かを守っていたのか、それとも私達には見えないものを先生の中に見ていたのかもしれません。

年度が変わり先生は転勤なさり、代わっていつも試合の応援に来てくださっていた若い二人の先生が顧問になりました。それから引退するまでの4ヶ月間、3年生達はただただ楽しそうでした。子犬達がじゃれあうように練習していた小学校時代が思い出されました。
でも本当は、何かが変わってしまっていたのでしょうね。
息子は卒業アルバムのサッカー部の写真に写りませんでした。

以上、どこにでもある人生の小さな1コマでした。
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by treeintheheart | 2013-07-06 09:17 | 子供たちの記録
この映画がTVで放映された時に録画したのは、人気のTVシリーズをの映画化したこの作品自体が特に秀作だと思ったからではありません。
ただ、この連ドラや映画を観ていた頃のことを、息子に思い出して欲しかったからです。

その頃息子は毎日のように電話で明日部活に来れるメンバーを募っていました。10人集まらなければ練習は中止というのが顧問の先生の方針です。けれどもクラブチームに所属していたり、塾があったり、15、6人しかいない部員中10人を確保することは難しく、常連の5人も次第にやる気を失っていきました。
顧問の先生は
「別にお前等なんか可愛くないんだ」
「他にやるやつがいないから仕方なく顧問をやってるんだ。」
「俺がやめたらお前等サッカーはもうできないんだからな」
と 言ったそうです。
たまの練習でも部員の態度は悪くなり悪循環…サッカー部は最早崩壊状態でした。
そんなときに放映されていたのがRookiesでした。川藤先生の熱い言葉に息子たちが何を思ったか、私にはわかりません。

高校で息子はどの部にもはいりませんでした。
「好きな時にメンバー集めてやるだけでいいんだ」
やがて息子は学校にも行かなくなりました。(これは別件ですけどね)
そんな時の放映でした。
息子は録画リストの中にそれを見つけて見始めました。上映された時、サッカー部の子たち7、8人で見に行ったことを楽しそうにしゃべっていました。
それを観たことと関係があるのか、それとも他の要因からなのか、夜、息子は登校の用意をしていました。
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by treeintheheart | 2013-07-06 09:00 | 子供たちの記録

魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず


by treeintheheart