天空の時計

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メッセージをありがとうございました。
苦しい日々、ふと私の古い日記を思い出し、アクセスしてくださったことに胸がつまるような切なさと懐かしさを感じずにいられません。
あの小さなSNSがなくなってから、もう5年も経つのですね。

それでも、あの時書いた私の拙い文章が、少しでも貴方の心に響くものをもっていたのなら、それまで私が過ごした日々も強ち無駄ではなかったのでしょう。

私も貴方と同じように家族から罵られる毎日です。
「毎日毎日みんなに迷惑をかけて、よく生きていられるな」
「早く死んでくれよ、早く!」
「おまえさえいなければ家族みんなが幸せになれるんだ」
夫を知る人にはとても信じられないと思いますが、ある種の発作を起こしたように顔を赤くして怒鳴り続けます。罵声とともにオムツやティッシュボックスが飛んで来ることもあります。強気の言葉で言い返してはいても私の心は萎え、あなたと同じように
「こんな状態になってまで、何故まだ生きているのか」
「何の意味があるのか」
と問いかける毎日です。

そうですね。私の詩も短歌も、空を詠ったものが多いかもしれません。
でも現実は、私の部屋からは空と呼べるほどのものは見えません。周囲の家の屋根に切り取られたただの刻々と色が変わる小さなモニター画面のようです。それでもそれを見ると、日毎の匂いや季節の移ろいを感じ取ることはできます。そして、その小さな小さな窓を通して、私は地平線まで張り渡されたドームのような青空や、燃え崩れ墜ちていく太陽を抱えた夕空や、数知れぬ星々を刺繍した帳(とばり)を幾重にも垂らしたような夜空を懐かしむのです。そういう時、私は自分が宇宙と繋がっているのだと思わずにはいられません。


もう久しく視てはいませんが、満天の星のもとに私達は立っています。昼も夜も。ただ昼は見えないだけ。そして、彼方から視れば、私達の立つ汚泥の塊も、愛らしい光を放つ小さな星です。たとえ星は自らの放つ光を知らず、自らを星だと思わなくても、です。
貴方も私も、この巨大な天空の時計の小さな部品です。目につかぬ小さなネジか歯車か…でもそんなもの一つでも、時を待たずに失えばこの時計は狂うでしょう。
だから、もう少し…私は立ち続けましょう。

よろしければ手を繋ぎ、あなたも…

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# by treeintheheart | 2017-03-21 07:57 | 考えていたこと

友へ (2014/3/8 1:18)

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長い間ご心配かけてすみません
漸くメールが少しは打てそうです。

最近の私は、精神的なダメージが直ぐに体調に来るという自覚はありました。けれど、身体が動かないことが心の動きまでをこんなにも縛ってしまうとは思いませんでした。

日毎に動かなくなる身体に、自分は用のない人間だ、皆の足手纏いだという思いから逃れられませんでした。家族が溜め息をつくたびに、疲れきった様子を見せるたびに怯え、奥へ奥へと潜り込む自分の姿がはっきりと見えているのに、そこから気持ちを切り替えることも、それに身を委ねることもできずにいました。

心配してくださっているのがわかっているのにメールできなかったのは、体調が悪く打てなかったせいもありますが、この状態を何と説明たらいいか分からなかったから…


今までの私なら、自分の奥へ奥へ降りていくと沸々としているものがあって、そこから何かしらのものを掬い上げ、新たな力を借りて地上へ戻ることが出来たのに、今回は其所へ降りていくことすら叶わないのでした。


「なぜなのだろう」と私は考えました。

父母の後処理が負担になっていることは事実です。
普通なら土地も財産もないのですから簡単に済みそうなところですが、昨年9月に父母とトラブルがあり手を離さざるを得なかった間に色々なことがごちゃごちゃになってしまっていました。
他にも父母と妹に対する不信感が募る出来事が重なって、お互いに信頼を取り戻せないままになってしまったのでした。
更に父母亡き後、叔父叔母からの厳しい反応は多少の予想はしていたとはいえ、酸のようにじわじわと心を腐食させていくのでした。
私が健康であれば、あるいは父母が健在であれば、世間によくある兄弟間のいさかいや中傷として笑い飛ばしていたようなことですのに
「私の父母はそんなに酷い人間だったのだろうか?」
父母に対する不信感や恨めしい気持ちとは矛盾していますが、父母がそんなに親戚から指弾されることをしたとは、私にはえませんでした。寧ろ父は母の弟に資金を出して大学を卒業させれたり面倒見の良いところがありました。けれども、父母を批判する元となった情報は多くがその叔父から出ていて、私が実際に漏れ聞いた父母の会話や古い書類等から推測しても、事実とは違うように思えてなりませんでした。父母に替わって叔父叔母に謝罪しつつ、私は「小さいヤツ」と心の中で思いました。

一年前の日記を読むと、父母に対する私の感情が変化しているのに驚きます。 これまで私は、父母を冷静に見てしまうところがありましたが、それは欠点はあってもそれを含めて「人間って面白い」という立場から父母のことを理解したい思っていた…と言ったらいいでしょうか。
それが、最近では言いようもない冷たい感情が底流に生まています。

今、私はそういう自分も、父母も妹夫婦も、叔父叔母も、全てが赦せないのかもしれません。そして、赦せない自分、優しくできない自分に耐えられない。
なんて高慢な、と思います。果てしない悪循環です。

ここから一歩を踏み出すには、もう少し時間がかかりそうです。


お疲れのところ、長文になってしまいごめんなさい。
お身体くれぐれも労ってくださいね。

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# by treeintheheart | 2017-01-09 08:38 | 日々

新年のご挨拶

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謹んで新春のお慶びを申しあげます

ご無沙汰いたしておりますが皆さまには穏やかな新年をお迎えのことと存じます
昨年私は要介護5の認定を受けました。
難病を二つ抱えているとはいえ、人の手を借りなければ一日どころか数時間すら無事に過ごすことが出来ない自分、生きていることそのものが周囲に多大な迷惑や苦痛を与えることになってしまう自分という存在をどう受け止めたら良いのか。こんな状態になってまで、なぜ、何のために私は生きているのか。その問いにまっすぐに向き合おうとするのですが、間断無く襲って来る痛み、硬直、麻痺が私を疲弊させともすれば挫けそうになるのをリハビリに集中することで辛うじて支える
そんな一年間を過ごして参りました。
闇の中を手探りしながら進むような日々は当分続きそうですが、希望を捨てずに一歩一歩を大切に過ごしていきたいと思っています。
今年もよろしくお願いいたします


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# by treeintheheart | 2017-01-03 07:09 | 日々

第二幕の始まり

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お久しぶりです。
大変長い間ご無沙汰してしまいました。


この数ヶ月(いいえ、実質的には一年以上と申せましょう)、事件やイベントがなかったわけではないのです。
むしろ、息子が成人し、娘が大学を卒業し、相続をめぐって調停があり、他にも様々な出来事がありました。
「誰かに仕組まれているのではないか」と思いたくなるような出会いや、霞の中に溶けていくような別れ、不思議な世界からの招待状の様に毎週起きた小さな奇跡…

「これは人生の大事な一コマだ。
かけがえのない瞬間だ。
書き留めておかなければ、きっと後悔する。」
と、その度に思うのですが、それについて語る言葉が見えてこない。まとまった文章に仕上げることが出来ないのです。

考えられる原因は二つありました。
一つ目は、私自身に大きな変化があって、自分の立ち位地をもう一度見直さなければならなくなったこと。
二つ目は、事実を書いていくこと、自分が真摯に考えたことを表現することが、時に危険を伴うものであると今更ながら認識したことです。

この二つについては、じっくり考えながら、ご説明していきたいと思います。


昨日は4月1日。
日本中の多くの学校や職場で新年度が始まる日でした。元旦とは別に、私達の日常を支えている色々な生産活動が更新され、昨日を起点として、また新たな目標に向けてスタートを切ったことでしょう。

ちっとも生産的ではない私ですが、「4月1日」に向けて社会全体がざわついてくると、さすがに居心地の悪さを感じはじめました。
巣穴の奥の小動物がニュウッと侵入してきた手に抵抗空しく捕まえられて引きずり出されるような、無力感を感じながら書きかけの下書きを何度もひっくり返して見ました。けれども、他人(ひと)の目に曝せるようなものは、ひとつとしてありませんでした。

この先、書きたいことはたくさんあります。材料はあるのですが、足りないのはそれを料理する技術と根気です。
「再開したい、けれども、できそうにない」
と、やる前からぐずっている根性無しの私ですが、色々な偶然が重なり、こんな言い訳だらけの一文から、また書き始めることになりました。
ハナから本当に中身のない文章で、この先不安ですが、うんとお暇な時、覗きにきてくださったらうれしいです。
またよろしくお願いいたします。
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# by treeintheheart | 2015-04-02 23:09 | 日々

レオナルド・ダ・ヴィンチの通行許可証 (2013/10/26 01:12)

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チェーザレ・ボルジア・デ・フランチャ、
ロマーニャ公爵、ヴァランス公爵、
アドリア・ピオンビーノの領主、
教会軍総司令官より、


私の領国内の、この書状を目にするすべての領主、軍司令官、傭兵、役人、兵士、家臣たちに告げる。

「私の最も親しい友人,建築技術総監督レオナルド・ダ・ヴィンチのために,あらゆる地域の自由通行と,彼に対する好意的な接待を命ずる。私から,公国内の全城塞の視察の任務を課せられた彼には,彼の任務を遂行するに必要な,あらゆる助力が十分に与えられねばならない。さらに,公国内のあらゆる城塞,要塞,施設,土木工事すべては,それを施行する間に,またそれを続行しながらも,技術者たちは,レオナルド・ダ・ヴィンチ総監督と協議し,彼の指示に従うことを命ずる。もしこの私の命に反するような行動に出たものは,いかに私が好意を持っているものであろうとも,私からの非常な立腹をこうむることを覚悟するように。」


法王猊下の18年目の年、
ロマーニャ公爵叙爵2年目の年
 ロマーニャ公爵が記す



(本文部分は「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」 第二部 剣 第八章からお借りしました。)


 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 


写真は、チェーザレ・ボルジアが、レオナルド・ダ・ヴィンチのために発行した、領国内を自由に通行する為の許可証である。

この通行許可証の発行日は1502年8月となっている。レオナルド・ダ・ヴィンチは50歳、許可証を発行したチェーザレ・ボルジアは27歳。
パトロンであったスフォルツァ家のイル・モーロが失脚し、失業中だったレオナルドがどういう経緯でチェーザレのもとで働くようになったのか、手元に何の資料もないので私にはわからない。

ただ、手紙は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった君主が、各地の現場監督、代官の類いに送ったものにしては、非常に緻密というか、あらゆる場合を想定して指示を与えていることに驚かずにいられなかった。

どちらかというと寡黙な、「指示は一言のみ」、のようなイメージを勝手に作り上げていたのだが、彼はいつもこんな風に細かく指示を出していたのだろうか。
それとも、これはかなり珍しいケースで、それだけレオナルドを信頼し期待していた、ということなのだろうか。

とにかくレオナルドが自由に動けるように、あらゆる便宜を図っているのである。チェーザレはレオナルドの才能をよほど高くかっていたのだろう。


一方のレオナルドはどうだったのだろうか。

今のところ、レオナルドのメモ類からチェーザレに関する記述は発見されていないらしい。
二人が面識があったという証拠は何もない。

けれども、この通行証が破棄されることなく現代まで伝わっていること自体が、私達の想像を掻き立てるに充分だろう。
通行証は、レオナルドの愛弟子であり遺言執行人であったフランチェスコ・メルツィの実家に保管されていた。
つまり、チェーザレの失脚後も、レオナルドはこの通行証を持ち歩いていた可能性が高いことになる。

「天才は天才を知る」という。
チェーザレの領国内にレオナルドが滞在したのは、わずか8ヶ月ほどだが、レオナルドにとっても、それは忘れ難い日々だったのではないたろうか。


【おまけ】

>>
レオナルドがチェーザレ・ボルジアのもとを去ったのは、チェーザレの失脚が最大の理由だと思いますが、詳しいことはわかりません。
当時レオナルドの故国フィレンツェはチェーザレと傭兵契約を結んでいました。だから、レオナルドも自分の意思ではなく、優秀なエンジニアをフィレンツェ政府が派遣した、ということだったかもしれません。だとすれば、チェーザレの勢いに翳りが見えたら故国に引き上げるのは自然な行動と言っていいかもしれません。

>>
私などよりずっと造詣が深く、高い見識をお持ちの方が、ご自身のブログで件の通行証を翻訳していらっしゃいました。
『私の親愛なるそして優秀な建築家であり軍事技術家であるレオナルド・(ダ)・ヴィンチにこの書状を持たせ、領国内の建築中の要塞・建築物の監督を依頼した。
現場にいるものは、すべて彼の命に従うことを命じる。
彼と彼の随行者の要請や判断に従ってその望むものを用意し、いかなる通行税もとってはならない。
友好的な態度と敬意を持って彼に接し、彼の望むあらゆる試み、測量を行わせること。
彼が要請するのであれば、人材・資金を惜しまず提供すること。彼にわが領内における建築の権限を委託したのであるから、ほかの建築技師たちは彼の意思に従い、彼の確認なしには任務を遂行してはならない。
もしこの命に反するようなことがあれば、その者は私の憤りをこうむることを覚悟すること。』
塩野訳より直訳に近いせいか、粘着質と言っていいくらいしつこいのがおわかりになると思います。
常々このように指示を出していたとしたら、レミーロ・デラ・ロルカという家臣が「独断専行の振る舞い」が多く、征服地に恐怖政治を行なった、として処刑されているのは、かなり疑わしいゾ、とか…
色々な想像してしまいました。
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# by treeintheheart | 2014-09-19 23:21 | 歴史

ヤモリくん

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我が家には庭がありません。建物の外壁にそって小さな花壇があるだけです。
それも、陽当たりこそ悪くないのですが、通風口が開いていて縁の下の冷たい風が吹き出していますし、花壇の正面には街灯が煌々とついているので、植物にとってはお世辞にも良い環境とは言えません。

それでも、毎年チューリップやムスカリ、水仙などの球根類は何とか花開いてくれますし、薔薇も切りもどしが間に合わないくらいすくすく伸びてくれます。
現在は苺の葉が楽しそうにジャンプを繰り返しながら花壇中から芽吹き、グランドカバー化しています。

その半坪にも満たない小さな世界に、どこからやって来たのか、ヤモリが住み着いているらしく、家族が深夜に帰って来たとき等は、よく玄関の窓に張り付いたヤモリくんのお出迎えをうけることがあります。
ヤモリは爬虫類で家を守る『家守』とも書きますが、これは害虫を食べてくれるからだそうです。
グレーがかったベージュのような色から、我が家のヤモリくんはたぶん絶滅危惧種の日本ヤモリと思われます。
「絶滅危惧種だなんて。そんな珍しいものが我が家の花壇に生息しているの?」
と、信じられないおもいでWikiってみたら、天敵はネコだそうです。…なんとなく納得。
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# by treeintheheart | 2014-08-04 18:58 | 日々

七月の花々

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一年の折り返しにて、人ならば背骨なるか、または縦に降るなら臍の辺りか、遂に七月になりぬ。

臍と言へば、ヘクソカズラなる花は七月に咲くと聞こゆ。白き餅に紅をちらと悪戯に落としたる如き色合いにて、うつくし。名の由来は知らねど、不憫なり。

翻って「他に七月の花は何ぞ」と問わば、
唐鼠黐(とうねずみもち)、
令法(りょうぶ)、
半化粧(はんげしょう)、
南京黄櫨(なんきんはぜ)、
禊萩(みそはぎ)、
鳳仙花(ほうせんか、
に始まりて、月末には
槐(えんじゅ)、
紅葉葵(もみじあおい)、
例の屁屎蔓(へくそかずら)、
向日葵(ひまわり)、
浜木綿(はまゆう)、
待宵草(まつよいぐさ)、
薮蘭(やぶらん)、
等は花期長くして、夏を越えて咲き続ける強者どもなり。

八月に入りてとばかり憶えし秋桜(コスモスなれど、七月の花に加えられたるを、何とはなしに落ち着かぬ心地にて見ゆ。

里山にすら色とりどりに咲くものを、ましてや人の庭の花々の咲き競うさま、大小の熱き渦を纏いたるが如し。
誇らかなる蓮、クレマチス、金魚草、トルコキキョウ、インパチェンス、百日紅、松葉ボタン、ランタナ…と限が無し。


☆昔の日記風に書いてみました。文法上の誤りなど多々あるかと存じますが、お許しくださいませ。
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# by treeintheheart | 2014-07-01 20:20 | 日々

娘の休暇

娘の会社では年2回仕事が暇な時期に特別休暇を取れる制度がある。
最初の1年目から、祖父母の入院や、老人施設への引越しや、私自身の体調不良で、旅行どころか家事に明け暮れて、翌年は自分の膝の手術にあて、また翌年は亡くなった祖父母に関する手続きの手伝い…と毎年、「普通に会社に出ていたほうがマシ」とつぶやく状態だった。
ましてや今年は、散々である。
申し訳ないと思う気持ちを、メールに打ってみたが、読み返すとあまりに軽薄で得手勝手で、送れる代物ではなかった。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


「娘に」

やりたかったことを何一つ満足に出来ないまま、今年も休暇が終わってしまったんだろうな。(「だろうなって、見て解るじゃん」と突っ込まないように)
申し訳ない。

だけど、私にとっては4日間あなたがいてくれて、とても心強く、煮詰まった膠の如くなっていた思考が、もう一度ゆっくり回り始めた感じだ。
ありがとう

なんて書くと
ますます家を出られ無くなるのだろうか

迷惑ばかりかけて
「子供達の翼をもいでいる」
とある人に相談したら、
「それは高慢というものだ」
と叱られた。
「子供ってぇのは強いものです。
本当にやりたいことを見つけたら、親のことなんざ振り返っちゃくれません。
さっさと飛んで行きますよ」

そうなのだろうか。

ひらっと寂しさが胸の中で舞った。
が、ほっとした。
嬉しかった。


これだけハードルが高いのだ。
よもや間違うことはあるまい。

どうか、どうかやりたいことを見つけて、それへ向けて飛び立ってほしい。
自分の思うままに、自由に、
悔いを残さないように。


今の私には
面と向かって
そう語る勇気はないけれど、
「心配しなくて大丈夫」
と一日も早く言えますように

そして
私の役目は
翼を休めに帰って来る場所を確保すること…なのだろう
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# by treeintheheart | 2014-06-18 08:42 | 日々

雲の上の友

高校の同窓会の案内状が来た。

はっとした。
13年前、当時の幹事だったKが「次期幹事を」と依頼の電話をかけてきたときのことが思い出された。恐怖にも似た、苦い冷たい塊が私の中からせめぎ合いながら昇り上がって来るようだった。

彼女の依頼を、私は即座に断った。深刻な体調不良を感じていたからでもあるが、私のような不器用で不出来な人間に連絡しなくても、優秀なのからユニークなのまで人材には事欠かないはずだった。
それで二人で思いつくかぎりの同級生をあげていきながら無責任&無節操な基準で「彼女なら適任だね」などと1時間あまりもおしゃべりしたのだった。
「ごめんね、お役にたてなくて」
「ううん、こんなにおしゃべり出来てよかったよ~。何か理由作らないと、なかなか話せないじゃん。やっぱり電話してよかった」

どこにでもある普通のやりとりで電話は終わった。

案の定その3ヶ月後に私は入院してしまった。一年後、退院してからも毎日のバタバタ騒ぎの中、私は激流に呑まれそうな気分で過ごしていた。
そんなある日、友人の一人から電話があった。
「Kが死んだよ。ショック過ぎるからJには知らせなかった。お通夜も告別式も終わった。皆きていて盛大だった」

私は呆然とするしかなかった。
私の中でKはこれから永遠に高校生でいなければならないような気がした。
次々と彼女の「台詞」が甦る。当時、彼女は発足したばかりの「ミュージカルなかよしともの会」のリーダーだった。文化祭で彼女が演じた「ハロー・ドゥーリー」は正に適役で、無知な私はオリジナルかと思ったほどだった。ピンク色の派手な衣裳をつけた彼女は言った。「ねえ見て見て、私が着るとてるてる坊主みたい」
彼女の声はすこしハスキーだった。お弁当はいつもおばあちゃんが作っていた。ランチタイムに後ろから時々悲鳴が聞こえた。「やだ、おばあちゃんたら、また胡瓜の油いためいれてるう~」「うああ…ねぇねぇ、普通お弁当に納豆っていれる?」

それだけの彼女ではないはずだった。卒業後数年して、彼女が某劇団の研究員になったこと、さらに最晩年の遠藤周作氏に可愛がられたこと等を風の便りできいていた。
実はあの電話の直後に招待状が来たトークショー(?)には行ってみた。小さな一人ミュージカルはよくまとまっていたし懐かしかったが、プロとしては声が良く出ていないような気がした。その後のトークタイムは、私には別世界だったので、ひたすらケーキを食べていた。…一言声をかけようかと思ったが人混みを掻き分けていくのは億劫だった。「まっいいや、次はTも誘おう」
けれども次は無いまま、私はTから彼女の死を知らされたのだった。「あの声は」と得心した。無理を押してのステージだったのかもしれない。


それから10年以上も、私は彼女の死因も何をしていたのかも知らないままだった。大学時代にはミュージカルをやるというので観に行ったけれど、ジャンジャンでのコンサートは、子供を主人の母に預けるなんて無理だったから、聴きにいくことはできないままになった。
高校時代、伝統ある演劇部に反旗を翻す形で発足した同好会は、文化祭での発表に漕ぎ着けるまでがまさに青春ドラマのようだったが、きっとあの勢いのまま人生を押し渡っていったのだろう。

昨年、私の父母が亡くなり、同時に一つの時代が私の中で終わった。様々な封印がとけて、私は懐かしい名前を検索した。
彼女のブログのプロフィールらしい痕跡が残っていた。彼女の声、特徴的な話し方が聞こえて来るようだった。経歴や上演作品を読みながら涙が馬鹿みたいに頬を流れた。
別のブログでは彼女の葬儀の前後のことが語られていた。「壮絶な闘病生活」と書いてあって、不謹慎かもしれないけれど、私はほっとした。妙なことに「自殺でなければいいが」とずっと思ってきたからだ。
彼女を知る人は百人が百人とも彼女を向日葵に例えるだろう。私もそう思う。でも、もうひとつ、彼女には妙に軽やかなところがあって、「ここから跳んだら本当に翔べそうな気がしたのよ~。」と例のドーリーの衣裳を着てパラソルをさし、何でもない瞬間に何かを越えて向こう側へ行ってしまいそうなヤツだったからだ。
…なんて書くと雲の上から抗議が来そうだ。幸い今日の雲は分厚くて、彼女を載せても持ちこたえられそうだし。
「何言ってるのよ?アンタこそ好き勝手書き散らしてるけど相当体重増えたでしょう?だいたいねぇ、アンタは昔から…」
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# by treeintheheart | 2014-06-12 11:37 | 思い出

同窓会

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時間がないんだ
お願いだから
大人の対応は止めてくれ
穏やかな日常の中の新発見や
心を和ませる小さな物語を
気遣いながら語ってくれる
君の中では今でも
私は十七歳のままなんだね


でも、私が知りたいのは
君が隠し通そうとしている
あの子の最後の物語だ
陽気な人気者だった
自分をてるてる坊主だなんて
言っていたっけ
未だに意味は不明だけど


招待状が届くたびに
どれほどわくわくしただろう
最後の電話をかけてきた
気づかないまま受話器をおいた
君のことを話していたよ
憶えているのはただそれだけ


あの子のことを聞きたいんだ
君とだから話したいんだ


ああ、やっぱり私は
十七歳のままだね
こんな風にいつも
困らせていた
君のことも

彼女のことも
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# by treeintheheart | 2014-06-03 12:29 | 詩、物語、短歌…