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すべてみどりになるまで

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魂の奥に下りて行って不思議な扉を開けてみてください。幾千年の時を経た大樹の息づく深い森。滴る光、湧き零れる水。そこに満ちる声の囁きを聴ける人になりたい。人の魂が、この星とそこに息づく数多の生命と、深いところで繋がっていることを感じとりたい。カリスマ性なんか微塵もない主婦Aの「闘病」「子育て」「考えごと」の記録…になるはず

オラショを知っていますか?

私の大好きな指揮者、西本智美さんとイルミナートフィル&イルミナート合唱団が、今年もヴァチカン国際音楽祭に招聘されました。
ヴェルディの「レクイエム」を演奏します。イタリアを代表する作曲家であるヴェルディを並み居るイタリアのオーケストラや合唱団を差し置いて、日本人が演奏するって、すごいことだと思います。しかも、レクイエムはここでは初めての演奏だそうです。
すごぉい!!!(≧∇≦)
…って、すごいばかりですが、他の言葉が出てきません。

さらに感動したのは、サンピエトロのミサで「オラショ」を再演するよう要請があったことです。


オラショとは、隠れキリシタンに伝わる祈りの歌です。
1975年(昭和50年)5月、当時、立教大学で教えていらっしゃった皆川達夫先生が生月島で運命的といっていい出会いをします。
400年間秘かに伝えられてきた歌は、もはや御詠歌とも呪文ともつかない不思議なメロディと意味不明の歌詞に変化していました。歌詞を書くことはもちろん禁じられていましたし、一年間のうち春のある時期だけ向かい合って布団を被り伝えた、というのですから正確に伝わらなかったのは無理もありません。むしろ、隠れキリシタンの人々がどれほど必死にオラショを護ってきたかを思うと、言葉を失います。

先生はオラショを録音し、楽譜に起こしてヨーロッパ中を探しました。オラショを歌っている方々もどこの国の言葉か知らず、ただ「唐言葉」と思っていたのですが、先生は「ラテン語の訛ったものてはないか」と考えたのでした。

やがて、生月島の三つの歌オラショのうち、『らおだて』と『なじょう』とが、それぞれラテン語聖歌の『ラウダーテ・ドミヌム Laudate Dominum (主をたたえよ=詩編一一六編)』と『ヌンク・ディミッティス Nunc dimittis (今こそしもべを=シメオンの賛歌)』に基づくことがわかりました。しかし、最後に残った『ぐるりよざ』はなかなか原曲がわからず、探し始めてから7年目の1982年(昭和57年)10月、スペインのマドリッドの図書館で、漸くその原曲が入っている聖歌集を見つけることができました。曲名は『オ・グロリオザ・ドミナ O gloriosa Domina (栄光の聖母よ)』。
この曲は、今も世界中で歌われている標準的な聖歌ではなくて、十六世紀のスペインの一地方だけで歌われていたローカル聖歌でした。それが、その地域出身の宣教師によって400年前に日本にもたらされたのです。そして隠れキリシタン達が命がけで守ってくれた結果、私達の時代にまで残ったのでした。
もちろん、キリシタン達は私達に伝えることが目的だったわけではありません。長い辛い弾圧の日々を、これらの訳のわからない不思議な音楽が支え続けたのでした。
皆川先生があるところでこのように書いていらっしゃったのを最近見つけましたので、ご紹介しておきます。

《音楽は、まるで花火のように一瞬の間に生起して消滅してしまう、はかなくて力のないもののように思われがちだが、実は隠れキリシタンたちがほぼ四百年も生き続けることを支え、また流産しかかった胎児の生命を救うほどの強靭な力を内に蔵していたのである。大学受験時のわたくしが医学をとるか音楽をとるかを迷ったあげく、「音楽も、人の心の生命を救うことが出来るはずだ」と信じたことは、決して間違いでも誤りでもなかった。》
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by treeintheheart | 2014-03-08 01:54 | 文化と言葉と…