2013年 06月 20日
生きる権利③(2011/08/02 23:01)
まだ生まれていない生命にも、今回の原発事故は、影響を及ぼしていくことだろう。
新しく生まれてくる生命にも、チェルノブイリ以上の確率で異常が見られるのではないか。あらゆる手段をこうじて悲劇を防いでほしい。
しかし、それ以上に、ハンディを持って生まれた子供達が生きやすい社会であってほしいと思う。
かつて優生保護法という法律があった。(1996年9月に代わって母体保護法施行)「優生学上不良な遺伝のある者の出生を防止し、母体の健康を保護すること」を目的とした法律である。
細かい議論は省くが、つまりその根底には
「生命には優劣があり」
「この世に生まれてきてはいけない劣った生命がある」
という考えがある。
このような考え方が再び法制化されたり、それに基づく行政が進められていくことはまさかないとは思うけれど、私達はたとえハンディのある子供達が社会に満ち溢れたとしても、社会全体でサポートしていくのだと今から決意しておくべきなのではないか、と思う。
子育てというものが、心身ともに大変な、努力と根気のいる仕事であることは、一人の不出来な母親として日々感じてきた。
まして、我が子がハンディを持って生まれてくれば、その子を支え育むことは並大抵の苦労ではないだろう。その心情や負担を理解しきることは出来ないけれど、せめてその思いや努力が実るような環境を作る手助けが出来たらいいと思う。
特に今回の原発事故は、人災としての側面が大きい。社会全体でサポートしていくのは当然だと思う。
「障害を持つ子を育てるのは大変なのだから」
という議論は、勿論あるだろう。
しかし、それが被災した人々でなく、行政や「無傷の」人が発言する時、自分の靴に泥がつくのを恐れるような、何かしら異質なものを感じてしまうときがある。
「子供は天からの授かり物」
と、昔はよく言ったのだという。
ならば、私たちは今、天に試されているのかもしれない。
新しく生まれてくる生命にも、チェルノブイリ以上の確率で異常が見られるのではないか。あらゆる手段をこうじて悲劇を防いでほしい。
しかし、それ以上に、ハンディを持って生まれた子供達が生きやすい社会であってほしいと思う。
かつて優生保護法という法律があった。(1996年9月に代わって母体保護法施行)「優生学上不良な遺伝のある者の出生を防止し、母体の健康を保護すること」を目的とした法律である。
細かい議論は省くが、つまりその根底には
「生命には優劣があり」
「この世に生まれてきてはいけない劣った生命がある」
という考えがある。
このような考え方が再び法制化されたり、それに基づく行政が進められていくことはまさかないとは思うけれど、私達はたとえハンディのある子供達が社会に満ち溢れたとしても、社会全体でサポートしていくのだと今から決意しておくべきなのではないか、と思う。
子育てというものが、心身ともに大変な、努力と根気のいる仕事であることは、一人の不出来な母親として日々感じてきた。
まして、我が子がハンディを持って生まれてくれば、その子を支え育むことは並大抵の苦労ではないだろう。その心情や負担を理解しきることは出来ないけれど、せめてその思いや努力が実るような環境を作る手助けが出来たらいいと思う。
特に今回の原発事故は、人災としての側面が大きい。社会全体でサポートしていくのは当然だと思う。
「障害を持つ子を育てるのは大変なのだから」
という議論は、勿論あるだろう。
しかし、それが被災した人々でなく、行政や「無傷の」人が発言する時、自分の靴に泥がつくのを恐れるような、何かしら異質なものを感じてしまうときがある。
「子供は天からの授かり物」
と、昔はよく言ったのだという。
ならば、私たちは今、天に試されているのかもしれない。
by treeintheheart
| 2013-06-20 12:33
| 考えていたこと